仕事を通して悟る

悟りとは何かと問われば、その答えはこれという決まったものがある訳ではなく、人によって様々な回答があるものです。

その中でも、一つの答えを提出するとすれば、真理・・・つまりこの世界の成り立ちを体験で把握することでしょう。

他人が書いた本を読んだり、話を聞いたりして、悟りとはどのようなものかを知り得たとしても、それは単に頭で理解できただけで、自身の体験にはなっていません。

例えるなら建物を建てるプロセスにおける設計図段階に過ぎないという気がします。

設計図段階と言っても、それがなければ建物も建ちませんから、他人の体験を自家薬籠中の物にするのは無駄とは言えません。

それはそれで、一つの段階と言えましょう。

悟るためには、すべてを投げ打ち深山幽谷の中で没交渉の境地に入らなければならないかと言えば、その様な方法も有効ではあるでしょうが、日常の仕事に没頭し邁進する中で悟りを得る方法もあると思います。

それはそれでとても価値があるでしょう。

そして、得てしてその分野で超一流と言われる人物は、仕事を通して悟りを得ていて、高い精神性を兼ね備えている様に見えます。

羽生善治名人(出典 wikipedia)

例えば、将棋の羽生善治氏は、将棋に向かう姿勢として、

『「将棋の中に真理を見出す」という気持ちで臨んでいる』

と、語っていたとかつて将棋関係の本で読んだ覚えがあります。

おそらく一般のプロ棋士は一局一局の勝ち負けに拘り、戦術~戦略の探求に人生をかけているものと推察します。

羽生名人クラスとなると、その探求の深みの中で神手というか、どうしても神がそれに関与しているとしか考えられないという神妙なる現象を見い出しているのでしょう。

そして、深い集中の境地でのみ触れることができる神の不思議を体験することに密かな歓びを見出しているのかもしれません。

ご本人と対談したわけではないので、本当のところはわかりませんが、おそらくその様な体験を重ねながら将棋を通して真理を見出そうとしているのだと思います。

つまり、勝ち負けがどうとか、技術がどうとかという境地ではなく、人生と将棋を一体として俯瞰する様な達人の境地に入っておられるのだと想像するのです。

私は、羽生善治氏の様な達人と比肩するのもはばかられる身ではありますが、少なからず気功治療という仕事を通して真理を悟ろうと努力する者の一人です。

気功治療には教科書の様な定本があるわけでもありませんし、常に試行錯誤しながら自身の未熟を味わっています。

そんな中でも、時々神が手を差し伸べたとしか思えない治癒の不思議を体験することもあり、人間はつくづく不思議な存在だと実感するのです。

人それぞれ仕事の内容は違いますが、仕事を探求する中で真理を得ようとすることは、生まれて来た目的を達成する意味でも極めて重要なことだと考えます。

それを仕事の目的、モティベーションとするなら、金を稼ぐために働くということにはなりません。

お金を稼ぐことよりも、仕事を通して達成したいより重要なものがあるからです。

お金を稼ぐことを否定している訳ではありませんが、それが主目的にはならないという意味です。

お金の極大化を目的として日々仕事をしている人と、仕事を通して真理を得ようとしている人とでは、何十年か後に到達するところはまったく次元の違うものだというのは想像に難くありません。

仕事を通して真理を得るという意識で日々努めていけば、やはり結果的にその分野で一目置かれる人物にはなっていくのではないでしょうか。

そして、真理を体得した人の言葉は自然と含蓄と重みが増し、その仕事とは異なる分野の仕事人でも啓蒙される深みを持ちます。

例えば、プロ野球のイチロー氏や故・野村克也氏の言葉もそうでしょう。

野球といういわばボールを投げたり棒で打ったりするゲームでありますが、その分野を極めた人の言葉は、他業種の一般のビジネスパーソンも大いに啓発されるものです。

考えてみれば、失礼ながらボール遊びとも言える野球ゲームを極めた人物の精神が、他の分野にも応用が効くというのは実に不思議なものです。

このように、ある分野の一流のレベルを突き抜けると、他の分野にも影響力を持ち得る境地に至ります

それが、一流を超えた超一流です。

超一流の人物の光は、その仕事の分野を超えて、他の分野にもあまねく広がりを持つ威力があります。

私は有名になりたいという願望は微塵もありませんが、気功治療や気功という分野で真理を悟れるレベルには今生で到達したいと思い、日々の施術に邁進しています。

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