病気が良くなる人といつまでも治らない人の違い

病気というものは、どのようなものであっても辛く苦しいものです。

「早くこの病気が治ってほしい」
「この病気が辛くて辛くてたまらない」
「一体いつまでこの苦しみが続くのか?」

と苦しみは続きます。

肉体の辛さは、メンタルにも及び、暗く重苦しい気持ちになってきます。
病気というものは、なった当人しかわからない苦しみがあります。

私はできるだけお客様の気持ちに寄り添うよう心掛けていますが、どんなにそう思ってもその苦しみはわかりません。

肉体があるからこその苦しみであって、死んで肉体が無くなってしまえば楽になるのではないかと思う気持ちも理解できます。

私はこれまでたくさんの病気のお客様に向き合ってきました。
その中で、重病・難病が立ちどころに良くなったという奇跡的な現象も多数経験してきています。

それを余り吹聴しないのは、ある難病が快癒したからと言って、同病の別の人が同じように治るかというとそれはまた別の問題だからです。

私はもちろん精一杯力を尽くすのですが、治るかどうかは率直に言って私の技量よりもお客様サイドの要因が大きいと考えています。

奇跡的に良くなる人の共通点を考えてみると、いくつか挙げられることに気付きました。
それは次の通りです。

① 被害者意識が少ない。
② 病気を通して学ばされているとポジティブに考えている。
③ 病気に感謝している。
④ 西洋医学の治療は受けていないか、受けていても僅かである。

という4点に集約されます。

では、それぞれについて解説をしていきましょう。

① 被害者意識が少ない

病気になればとかく「どうして私がこんな目にあわなければならないのか?」「なぜ私だけ・・・?」「私は何も悪いことはしていないのに・・・」という被害者的な気持ちになりがちです。

原因を探求する姿勢は大事かもしれませんが、それによって気持ちがネガティブになり過ぎるのは問題です。

確かに病気は他人の念や霊障など外部要因によって生じることはあります。
しかし、それはなかなか自分ではわかりません。
考えても無駄なことは意識しないのも賢い姿勢といえます。
確かに自分自身に原因がない場合もあるにはあるのですが、それでも「病気になった原因は自分自身にあるのだ」と考えた方が治癒のためには良いです。

② 病気を通して学ばされているとポジティブに考えている

この考え方になるためには、前提として自分は神など大いなる存在によって生かされているという考えが必要です。
自分の本質である魂は「〇〇〇〇(ご自身の名前を入れてください)」という肉体に入ってこの世界を生きていて、様々な現象を通して魂が成長するようプログラムがあるという考えです。
これはどこか自分を客観視して眺める視点を持つということです。
自分を高所より俯瞰(ふかん)しているとも言えます。
私も常にそのような感覚で生きています。

そして、病気やトラブル・災難も、自分の魂を成長させるための学びであって、その経験を通して魂の経験値をあげていっていると考えるのです。

これは「不幸にもこんな病気になってしまった」「自分だけがこんな目に合うとはひどい、解せない」という考え方とは対極的なものです。

「自分はこの病気という辛い経験を通して何を学ばなければならないのか」という考えを常に持っているのは、メンタルがポジティブになっている状態です。

「何を学ぶことになっているのか?」・・・その答えは容易にはわかりませんし、自分の中で解答を得たとしても答え合わせもできません。
人生とはそのようなものです。

しかし、自分自身の中に納得できる答えが見つかり、それが腑(ふ)に落ちるようであれば正解である可能性は高いと思います。

そのようなメンタルがポジティブな状態であれば、計測はできませんが、免疫力や体力も活力がある状態になっているのかもしれません。

③ 病気に感謝している

自分自身を苦しめている病気に恨みつらみの気持ちを抱くのが普通なのかもしれません。
しかし、そのような病気と対立し敵対する姿勢では、いつまでもその病気とお付き合いすることになります。

がんでも快癒する人は、病気に対して感謝の気持ちを持っています。
西洋医学はとかく「病気と闘う」という表現で対立する思想を持ちます。
西洋は自然を征服する対象とし、それを征服することで勢力を伸ばしてきました。
その思想は病気に対しても同様です。

「病気を叩く」「病気を撲滅する」と、いわば戦争状態の心理に導かれる訳です。
今でも「ゼロコロナ」とか、風邪のような新型コロナウイルスを根絶しようという、私からすると奇妙奇天烈(きてれつ)に思える思想でもって社会政策を進めるのです。

しかし、「事実は小説より希なり」という言葉のように、快癒する人の多くは病気に対して敵対心を持たず、むしろ感謝し包み込む考え方を持っています。

がんであれば、「がんさん、ありがとう」という気持ちを持つのです。
がんに「さっさと消えやがれこのやろう!」「消えろ!消えろ!消えろ!」と罵るのでは、その人が持つ波動が違うのが理解できますか?

その人の精神から発する波動は、現実に大きな影響をもたらします。
いかなる現実であれ自分自身が創造しているのです。

感謝の気持ちを持てば100%治るかと言えば、そうは言い切れません。
人には天命がありますから、肉体の生命を終わらせる目的で出て来る病気もあります。
しかし、病気と敵対する考えでいるのと、病気に感謝し包み込み、愛を持って対応する姿勢では、その経過は大きく違いが出て来ることでしょう。
病気に感謝している人の方が、痛みや苦しみは少なくなると私は考えています。

④ 西洋医学の治療は受けていないか、受けていても僅かである。

気のレベルで診ると、西洋医学の治療は気を乱していることが多いものです。
例えば、手術は気の流れを分断してしまいますし、薬は症状を感じさせなくするように抑え込み、邪気を内向させる作用があります。

身体は熱を出したり、様々な症状を発症したりすることで、体内の毒素や老廃物や邪気を体外に排出しようと働きます。

西洋医学は「症状=悪」と考え、それを抑え込みます。
確かに、症状は辛いからその気持ちもわからなくはありません。

しかし、東洋医学では症状を身体が良くなるための浄化プロセスと考えます。
ここでも西洋と東洋の医学では考え方が真逆なのです。
症状は苦しいけれども、体内の悪いものを排出し、身体が元のような元気な状態に戻るためには、そのプロセスは受け容れなければならないものとポジティブに捉えるのです。

気功治療をすると、身体は気(エネルギー)が入り、良くなろう、元の良い状態に戻ろうという力が発動します。

しかし、そこで症状を抑え込む力の素になる薬を使っていると、その元気になろうとする力がうまく発揮できなくなります。
いわば、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるようなものです。

私は普段の気功治療では、個別にお客様に薬を飲まないようにというアドバイスはしません。
この記事を読んで、薬を使うも使わないも読者の皆様の自由な選択です。
私も読者の皆様が薬を使わなかったことに対しての責めは負いません。
ご自身の賢明な判断で行ってほしいと思います。

かく言う私も20代の前半は、いつも薬ケースを持ち歩き、飲まない日はない位様々な薬を使ってきました。

しかし、気功の道に入るようになり、自然医療の理解が深まるにつれ、それは間違っていると気付いたのです。
山ほど飲んでいた薬は、気功治療家になってから滅多に飲むことはありません。

私は何かしらの症状が現れた時に、「浄化のチャンスが訪れた!」と積極的に捉え、薬を飲むことなく、症状の経過をみます。
確かに症状は辛いし、時には遺書を書いた方が良いのではと思う位苦しむことがありますが、「こうして身体が浄化されている」と苦しみでのたうち回る中でもどこかでワクワクしている自分がいます。

読者の皆様の中にも日々色々な薬を使っている人がいると思います。
個別のケースはわかりませんから、一概に言えませんが、薬は使わないに越したことはないありません。
自分の体内には、それを治す力があるという確固たる信念を持つことです。
自分を信じてください。

奇跡的な治癒の現象は得てして薬を使っていない人に起きている・・・それは私の経験として確かなものであり、それを是非ともお伝えしておきたいのです。

関連記事

PAGE TOP