科学科学というが、それは絶対的なものなのだろうか?

現代人は科学が発達したこの21世紀に生きているから、私たちは科学的な考え方ができるかと言えば、全くそうではありません。

それは前々からわかっていたものの、このコロナ騒ぎで白日の下となりました。

現代人も科学が発達していなかった中世の人々と何ら変わるところはありません。

科学という名の下に行ったコロナの諸対策が功を奏したかどうか?

飲食店に課した不可思議な営業規制、三密回避、マスクなど・・・何も効果的だったものはなく、社会全体が強迫神経症に陥っていたように思えてなりません。

結局、弱毒性のウイルスに対して効果を持つのは、感染・発症し免疫抗体を獲得する以外にはありません。

私たちが「科学的」という考え方の実情は、極論言えば、どの専門家の意味に追随するかに他なりません。

専門家の意見が論理的であるかは、そこは検証するものの、その専門家が依拠する論文まで辿って読む人はほとんどいないでしょうし、更にはその論文に過ちがないか発見できる能力がある人はまず見当たらないでしょう。

医学論文の統計は、製薬会社の都合が良いように作られていて、一般の医師でもその恣意性を見抜くことはまず不可能と言われています。

尚更、私たち一般人は余程知力の高い人以外はわからないでしょう。

今回のコロナ騒ぎでは、様々な専門家が科学の御旗の下でそれぞれの意見を主張しています。

ワクチンについてもしかりです。

それが真逆の見解を言っていることも多くあります。

専門家たちは自分の信念に基づいて持論を主張する人もいれば、製薬会社にお金をもらって彼らの都合の良い意見を広めていた人もいました。

後者は自分が良ければ、大衆がどうなろうが我関せずなのです。

ある感染症とウイルス学の専門家は、ワクチンが出てくる前に「長期的な影響がわからないから接種は勧められない」と自著に書いておきながら、しばらくしてあたかも思想を転向したかのようにワクチンを積極的に勧める旗頭となっていました。

実に人間として恥知らずで情けないと失望しました。

科学とは再現性と客観性が必要ですが、私たち一般人には科学的根拠を再現実験することもできません。

要は、科学的という姿勢の多くは、宗教と同じで誰を信じるかということに他なりません。

専門家連中が自分たちの言説は科学的であって、他の言説は非科学的で信頼に値しないと高圧的に自説を主張する姿勢は、あたかも宗教に盲目的に信仰する狂信者のようで恐怖感を覚えたものです。

科学が絶対的に正しいものかといえば、全然そのようなことはありません。

ノーベル医学・生理学賞を受賞した本庶佑氏は、科学者でありながら次のように語っています。

『だいたい世の中ってのは、嘘が多いですからね。別にフェイクニュースの事を言ってるわけではないんですけど。教科書が全て正しかったら、科学の進歩はないわけでね、教科書に書いてある事も、実は間違ってることが沢山ある。それを正して、更に前に進んでいくということだから。基本はやはり、人が言ってること、あるいは教科書に書いてあること全てを信じない。信じたら、そこで進歩はないということだから。「何故か?」と疑っていくことが重要だと思ってますね』

現代人が正しいと信じ込んでいる科学の説も、数百年先の未来の人がそれを聞いたら、そんな馬鹿げたことを信じていたのかと一笑に付すこともたくさんあるでしょう。

科学的なことであれ、非科学的なことであれ、盲目的に追随する姿勢には危険が伴うということです。

やはり、ああでもないこうでもないと自分自身の頭で考えるということが大事でしょう。

医学で言えば、病院での西洋医学が正当で正しいやり方で、他の民間医療は眉唾の偽物と見る姿勢も偏った見方です。

私がやっている気功治療は、西洋医学からは説明がつきませんが、実際に西洋医学でどうにもならなかった患者さんたちを相手に施術をして効果をあげているのです。

私はこの仕事に就いてもうすぐ20年になりますが、実際に結果が出せなければ、そんなに続けられるはずはないのです。

20年間も巧妙に舌先三寸で患者を騙してお金をとり続けるのは、少し考えれば不可能だとわかるでしょう。

現代の西洋医学は科学的と言いながら、気(エネルギー)という視点がごっそり欠落していて、その点はまったく不完全と言えます。

私の文章は全く科学的なものではありません。

しかし、私の文章は体験に基づいて書いています。

つまり、体験的なのです。

1000人が白と言っても、自身の体験と本能と気感に照らして考えてみて、それが黒だと思ったら大勢の考えに追随することはありません。

本当の混乱と騒擾の時代には、生き残れるのは私のような本能に従って行動する人たちだと信じています。

種々の神典には現代の科学に対する不信がいくつも述べられています。

神典は神という高次元の存在から伝えられている言葉で傾聴に値します。

これらの一部をご紹介しましょう。

それぞれ短い言葉ですが、噛みしめて読んでみてください。

日月神示

悪を除いて善ばかりの世となさんとするは、地上的物質的の方向、法則下に、すべてをはめんとす限られたる科学的平面的行為であって、その行為こそ、悪そのものである。/地震の巻・第九帖

科学科学と人民申しているが、人民の科学では何も出来ん、乱すばかりぢゃ、神(〇チョンマーク)に尋ねて神(〇チョンマーク)の科学でないと何事も成就せんぞ/梅の巻・第十五帖

今の科学では、わからん。1万年や3万年の、人間の地上的学では、わからんこと。/星座之巻・第四帖

今の科学は科学のことはわかるがそれより上のことはわからん。今の科学はあるものがあるということだけしかわからんのぢゃ。/春の巻・第三十三帖

【大日月神示】

人民の科学も迷信、間違いだらけの宗教ぞ。お偉いさん方申すこと(まこと)と思い込むでないぞ。人民騙されやすいから、くどう申しておくぞ。皆々苦しむもの生み出す悪魔の教えを崇めておいでじゃ。人民擦り込まれたゆえ、間違いだらけの悪の科学崇めるのも無理ないなれど、生き物皆々様が苦しむ元となる教えを悪魔らは人民に与えて、自滅させること楽しんできたのじゃぞ。/十一

地の大神様と、土の星の悪魔ら植え付けた魔の科学との戦の最中でありますぞ /二十八

人間の科学、知識小さいぞ。悪に縛られた知識、科学、仕組み、習わし、捨てなされ。捨てれんのは、己洗脳されておるからぞ。毒食って旨い旨いと笑って死ぬでないぞ。/二十

人の科学では(まこと)狂わせるだけであるぞ。遺伝子、(いじ)るなよ。/四十三

魔の科学、人知れぬ兵器使うて混乱いたすから気を付けなされ。/四十四

人、偉ぶると訳わからぬ学に囚われて、都合のいい我良しとなりますから、足元、気を付けるのぞ。これから、ますます我良し科学に縛られ、真、理解出来なくさせられる方増えますから、てんやわんや賑やかになりますぞ。/四十七

科学が現代文明を発展させてきたのは事実であり、私たちは多くの恩恵を享受しています。

しかし、こと西洋医学に限っては、科学の発展が人を幸せにしてきたかと問われれば、そうではなく、むしろ不幸な人を増やしたのではないかと思えてなりません。

多くの病気は、原因を突き詰めると医原病であることが多いからです。

上に引用した神典の珠玉(しゅぎょく)の言葉は、現代のコロナ~アフターコロナの世相を表現しているように思えてなりません。

皆さまはどうお考えでしょうか?

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