人間は皆平等であると思いたがるものですが、実のところ平等に生まれているわけではありません。
よく考えてみれば自明のことで、親の愛情に溢れた家庭やお金持ちの家庭に生まれて来る子供もいれば、その逆に機能不全の家庭や貧困の家庭に生まれて来る子供もいます。
教育の機会も当然ながら平等ではありません。
また、健康で何をやっても上手くいく人もいれば、病身で何事も上手くいかず苦しい人生を歩んでいる人もいます。
本人の後天的な生き方に原因するところも多々ありますが、それ以上に原因になっているのがカルマ(因縁)です。
仏教では業ともいい、神道ではメグリといいます。
カルマとは、先祖・両親、または自身の過去世から引き継ぐエネルギー的負債または貯金です。
良い意味と悪い意味がありますが、一般的には悪い意味で用いられます。
気功治療の施術をしていると、「この人はカルマの影響が大きいな」と実感することがよくあります。
往々にしてその場合、私もその邪気を被り気分が悪くなってしまいます。
この手の邪気は結構手強いことが多いのです。
西洋医学で病気の遺伝という表現をすることがありますが、それはだいたい家系のカルマと重なるのではないかと実感しています。
つまり、西洋医学的には遺伝的な要素があってそれが故に特定の病気が発現すると考えるのですが、気功治療家としては家系に引き継がれている特定のカルマがあり、そのネガティブなエネルギーが種となって病気が現れると考えるのです。
今日も、ある臓器の病気で、その臓器を切除した女性(Aさん)が来院しましたが、父も妹も同じ病気を持っています。
妹さんの施術もしたことがありますから、同じ邪気によって起こっている病気であることが明白にわかります。
Aさんご本人は遺伝的体質が原因と考えていましたが、家系に同じ病気が起こるというのはその原因となるカルマのエネルギーがあるからなのです。
この様な強い家系のカルマ(因縁)を持っている人は、無自覚でいるとカルマのエネルギーが段々と蓄積されます。
その影響が大きくなると、その邪気によってやがて病気という形で現れます。
では、どのようにしてカルマ(因縁)を消していけば良いのでしょうか?
直接的には、
- 邪気を取ることができる人に気功治療をしてもらう
- ご神木プージャの様な護摩祈禱で邪気を燃やす
という方法が考えられます。
もう一つの方法は、マイナスのエネルギーをプラスのエネルギーで相殺していくという方法です。
具体的には、人の役に立つことを実践し、「ありがとう」という感謝の言葉とそのエネルギーをいただくことで、カルマというマイナスのエネルギーを消していくのです。
仕事を通して感謝の思いを集めるのも良いですし、ボランティアなどの奉仕も良いでしょう。
「ありがとう」もできるだけ感謝の気持ちがこもったものが良いです。
Aさんには話の流れでこの様なことをお伝えしたのですが、
「私には人に感謝してもらうなんて無理です」
と、無下に拒絶されてしまいました。
素直な方なら、「何から始めようかな」「楽しみながらやれることはないかな」と前向きに考えるところですが、一考もせずに即座に無理と言い放つのは、それも含めてカルマなのか、本人の特性なのかと考えさせられました。
身体が不自由で行動に制限されるならともかく普通の人と同じ生活を送っています。
やろうと思えばいくらでもできると思うものの、その様な発想には至らないのでしょう。
仮に身体が不自由であっても笑顔施(わがんせ)というものがあります。
これは仏教の思想なのですが、仏教には生活の指針として「六波羅蜜」というものがあります。
それは布施(ふせ)・持戒(じかい)・忍辱(にんにく)・精進(しょうじん)・禅定(ぜんじょう)・智慧(ちえ)の六つです。
その中の布施というものには、
「財施」 金銭や物を他人に施す
「法施」 人に正しい物事を教えさせていただく
「無畏施」 自分の身体を使って他人の心配や苦労を少なくしてあげる
と、いう3つの布施があります。
その中の「無畏施」に「笑顔施」(わがんせ)というものがあります。
これは常に笑顔で他人に接し、人の心を明るくしてあげることです。
誰しも自分自身のことを考え、自分自身のことで忙しく日々に忙殺されていますが、その中でも笑顔でいて、殺伐とした人の心を明るく温かくする・・・それが笑顔施です。
自分のことで手一杯になると人に奉仕しよう、大変な人を助けてあげようという温かい気持ちも失ってしまうのかもしれません。
人に施すお金もない、人のために働く時間もない・・・それほど何もできなければ笑顔施で他人を幸せにしてあげればよいのです。
こうして笑顔で周りを明るくさせることで、周囲の人にも笑顔が広がり、その善行が徳(プラスのカルマ)を積むことになります。
その結果、自分自身もカルマの解消につながるのなら、それは素晴らしいことではないでしょうか。