2020年に入って湯治を目的として各地の温泉を巡っています。
「温泉には病気を治す力がある」
私はこう確信しており、本物の温泉を求めて時間の隙間を見ては観光地まで足を伸ばしています。
今日も関東近郊の温泉場まで弾丸で行ってきたところです。
昔は湯治という温泉療法が確立していました。
病気になったら1~2週間湯治場で過ごし、温泉の力で病気を治していたのです。
現代もわずかに湯治場が残っていますが、病気になって湯治に行こうと考える人はほとんどいないでしょう。
私自身が病気になったら、気功治療と湯治の併用で治すとかつてから決めていることです。
注射されたり、痛い手術を受けたり、飲みたくない薬を飲んで副作用に苦しんだり・・・この様に現代の西洋医学はとかく治療が辛いものです。
私は気功と温泉で気持ち良くなって治すのです。
病院で治療を受けるのは、末期の末期の痛みが耐えきれない時に緩和で頼るかどうかだと思います。
その点は多くの人と考えが異なるところでしょう。
私は仕事があるので、1泊しかできませんが、泉質の見極めはエネルギーで診ますので成分に詳しい専門家より確かであると自負しています。
「このお湯だったら〇〇の病気に効くだろう」というのが温泉分析書別表の記載に依らず感じられます。
傲慢に思われるかもしれませんが、気功治療の仕事に就いて物の真贋を感じる力は高まってきました。
半年余り湯治場を巡ってきて思うことは、温泉は素晴らしくてもホスピタリティがまるでなっていないという点です。
料理はそれほど見栄えがしなくてもいいです。
晴れの場として行く旅行ではありませんし、病人はそんなに食べない方が治りが良いので、街の定食屋の定食に毛が生えた位の料理でも十分満足です。
施設がボロいのもOKです。
昭和の時代、もっと言えば明治からの建物で頑張っているのは評価できます。
建物が公民館みたいでイケていなくても、泉質の素晴らしさがそれをカバーするでしょう。
しかし、清掃ができていないのはどうでしょうか?
ホスピタリティのマインドが欠如しているのはどうでしょうか?
リゾートに観光に出かけ温泉でリラックスというスタイルは今の日本人に根付いていますが、温泉で病気を治すという考えはまったくありません。
温泉に詳しい温泉マニアは知っているかもしれませんが、人口比率にすれば相当低いでしょう。
だからお客さんがあまり来ないのでヤル気を無くしているのではないかと思ってしまいます。
お客が少なくなり、お金が入って来なければ良い人材も雇えませんし、設備の改修費も出ません。
全体的な印象としてじり貧という言葉が適当ではないかと思います。
「それでいいのか!!」と心底思います。
今日行った温泉旅館も泉質はかなり素晴らしいと感じました。
自分の身体に傷口ができて痛々しかったのが、1晩で傷口が塞がり、跡がだいぶ分からなくなりました。
戦国時代に武将が温泉場で刀傷を癒したという話は聞いたことがあるかもしれませんが、それはやはり本当なのです。
それ程泉質が素晴らしくても、清掃が行き届いていなかったり、ホスピタリティのレベルが余りに低かったりして、私も人に勧めたくても勧められません。
泉質の素晴らしい温泉はいくつか見つけられましたが、なかなかこれを人に紹介できるかというと疑問符がつきます。
「温泉は素晴らしくても、これではまた来たいと思えないよなあ・・・」
そう思えてしまい、そこが本当に残念です。
そんなに遠からず、長く続いて来た湯治の文化を持つ旅館は次々に廃業になるでしょう。
コロナが観光業界に致命的な追い打ちをかけています。
お金が回らなくなれば、せっかくの源泉が廃れます。
源泉は地球からのギフトであり財産です。
こんなに素晴らしいものに人々がその価値に気付いていないというのは残念ですし、何とかできないのか、と最近はそればかり考えています。