なぜ身体を大切にしなければならないのか?その本質的な回答

健康を意識し、身体を大切にするというのは当たり前のことです。
よく親が子供に「身体に気を付けなさいよ」と言います。
私などもいまだによく母親から言われます。

さて、健康に気を付けるというのは、人それぞれやっていることとでしょうが、その取り組みは雲泥の差があります。
お客様と話をしていて、「全然健康への意識が低いな」「それでは病気になるのも無理もないな」と思えてしまうこともしばしばです。

私が健康を維持するために取り組んでいることは次の事項です。

  • 適度な運動をすること
  • 食事の節制をし、身体に良くないものを極力取らないこと
  • 様々なサプリや酵素飲料を常用し、食事からの摂取を補うこと
  • エッセンシャルオイル(アロマオイル)を使って植物の力を健康維持に役立てること
  • 瞑想や祈りの時間を取り、気の浄化し、精神統一を図ること
  • 呼吸法を実践し、体内に沈殿する不要なガスや邪気を排出すること
  • 朝晩と2回お風呂に入り、邪気を排出し、体温を上げ、免疫力を高めること
  • ラジウムのパッド(ゴッドヒーリングパッド)を使って、低線量の良質な放射線を浴びること

ざっとこのような感じです。
一つ一つの項目も詳細を語ると長くなるので今回は割愛します。

食生活の違いはわかりやすいので、それは次のページを参照してください。

→ バリバリに健康志向の私がこだわる食生活

これだけやっても、まだまだ健康への取り組みが足りないと感じることはあります。

健康意識の違いはどこから来るのでしょうか?
それは、自分が病気になるケースを想定しているかどうかという危機感の違いでしょう。

私は常に病気の方と関わっていますので、重病のお客様を他人事と思えないのです。
一般に、会社勤めをしていたり、専業主婦だったりすると、周りにそれ程病気の人がいないから、自分が病気になるという想定をすることは少ないでしょう。
だから病人が身近にいたとしても、どこか他人事だったりします。

今の日本では、2人に1人ががんに罹り、3人に1人ががん死するという悲惨な状況になっています。
それでもその予防に真剣になっている人は稀だと感じます。
50%の確率でそれが起こるというのに、考えないのはいかがなものでしょうか。

好きな物を好きなだけ食べ、不摂生をして毎日過ごしている・・・
ワクチンの害悪を疑うこともなく、勧められるまま何回も接種している・・・
薬を長年にわたって毎日数種類服用している・・・

それでは、遠からず病気になるに違いありません。
病気になったらなったで、病院にかかり、薬を処方され、その弊害を疑うこともなく、長期で服用する・・・
健康意識が低いと、どこまでも対処療法になり、場当たり的な対策しかとれません。
なぜそうなったのかという原因を考えないと、根本的な解決はできないでしょう。

40歳を超えれば、身体にガタが生じてきます。
今までは何でもなかったのに、すぐに体調を崩したり、疲れが抜けなかったり、次々にいろいろな病気が出てくるようになります。

健康を損なうと、自分のやりたいことができなくなりますし、仮にできたとしてもそのパフォーマンスは格段に落ちます。
身体に病気が生じれば、その苦痛を味わう肉体的な辛さで苦しむのは当然ですが、それだけではなく、病気が長期化すればメンタルの調子も損なわれます。
元気に生きたいけれど、希望が持てず心が鬱々として不安や心配が常に心に去来する・・・そうなると、ネガティブなエネルギーがどんどん生産されていきます。
それでは、仕事も上手く運ばないでしょうし、周りとの人間関係もうまく築けないでしょう。
そうならないためにも、健康を維持するためには何をしなければならないのかしっかり考え、それに投資をする生き方をするのが賢明です。

健康を意識するのは、このような現実的な損失を回避するためだけではありません。
なぜ身体を大切にするかというと、身体は神の宮だからです。

日本には昔から魂が肉体に宿り、生命活動をしているという思想があります。
魂が抜けた状態が死であって、魂が肉体に入っていると、肉体が魂から供給されるエネルギーで活動することができるようになります。

さらに、魂の奥底には神の分魂が宿っています
分魂とは、分け御霊ということで、すべての人の魂の深奥には神の分魂が存在するのです。
だから、私たち人間は、誰もが神であると言えます。
その証拠に、強く念じ続ければ大概のことはそれが現実化するのです。

身体は神の分魂が宿る神の宮と言うことができます。
神の宮とは、神社のようなものです。
神社にはご神体があり、それを守るように広大な敷地と鳥居があります。
人間の胸の奥には魂があり、肉体がそれを守っています。

なぜ身体を大切にするかというと、神の分魂が宿っているからで、肉体を大切にするということは神を敬い大切にするということに繋がります。

だから、何か身体に良くないことをしそうになったら、「大切な神の宮を穢すことにならないか?」と自問自答すればよいのです。

私は身体は神の宮だから穢してはならないという意識を長く持っています。
だから、健康を意識し、身体を大切に扱うのです。
たとえば、身体に良くないものを食べたいと思った場合、それは血を汚し、何かの病気のきっかけになるかもしれないという気持ちで踏みとどまります。
私の場合は、それだけではなく、「神の宮を穢してはいけないな」と思い、行動を踏みとどまっているのです。

世の中の大半の人は、身体を自分の所有物だと考えています。
自分の物であれば、自分が好き勝手に使っていいはずという考え方になります。

私は、身体とは魂がこの世界を過ごすために使わせてもらう精巧な宇宙服のようなものであって、借り物だと考えています。
良い状態で維持管理し、いずれの時期にお返ししなければならないから、大切に取り扱わなければならないという考え方を持っています。
賃貸物件を使用する場合の考え方みたいです。

自分の所有物・持ち物であると考えるか?
自分が使わせていただいている借り物だと考えるか?
それによって日々の行動は大きく異なります。

後者のように、神からの借り物で使わせていただいていると考えれば、大切に扱いますし、身体が不具合なく機能することに感謝の思いが湧いてきます。

身体は魂という神の分魂が宿る神の宮だという考えは、物質主義一辺倒の現代では受け入れがたいかもしれませんが、眉唾な精神論を主張しているつもりはありません。

科学が発達し、それが医学の分野でもめざましい進歩を遂げていますが、それでも気や魂のことを含め何でも身体のことは解明されているということにはなりません。
むしろ、科学万能の世の中でも、まだまだ何もわかっていないのが実情です。
魂というものの存在が理解されるようになり、肉体が神の宮であるというように考えられるのは、まだ数百年の時間がかかるのかもしれません。

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