あるお客様(Aさん・女性)からツインソウルのセミナーに行ったという話を伺いました。
そもそも、ツインソウル、この用語をご存じでしょうか?
女性の間には広く認識されているにも関わらず、男性の間にはほとんど知られていない謎のワード、それがツインソウルです。
実際、女性がツインソウルのことを話題にするのは時折耳にしますが、男性が語っているのをこれまで聞いたことがありません。
ツインソウルとは、魂の片割れという意味です。
人がこの地球に生を受けた時に、自分の魂の残り半分を持っている異性(同性の場合もある)がいるというスピリチュアルな思想です。
その異性に出会うと、それこそずっと探していた運命の男性(もしくは女性)に出会ったというこれまでにない恋愛の高揚感と共に、何が何でも一緒になりたいと強く相手を求めるようになります。
Aさんが参加したセミナーは150人くらいの参加者がいたそうです。
随分多いものですね。
その中でも男性はたったの1人で、残りは全て女性という構成になっていました。
それだけ、女性には熱望されているのがツインソウルと言えるでしょう。
私も6年ほど前にサットサンガ(真理の集い)で説法のテーマに選び、「永遠の愛~めぐり逢う魂ソウルメイトに関する考察~」と題しお話したことがありました。
ですので、男性にしては知っている方ではないかと自負しています。
さて、Aさんは、ある日ツインソウルの男性に出会って、それこそ雷が何本も落ちるくらいの強烈な衝撃を受けたそうです。
それで、その男性に猛アタックしていたのですが、柳に風と受け流され、まったく相手にされず、結局その恋は成就しなかったそうです。
果たしてその男性がツインソウルになるのかどうか、それは答え合わせができるものではありませんからわかりませんが、Aさんがそう信じる以上はそれで良いのだと考えます。
ツインソウルのセミナーのことは詳しくわかりません。
どのようにして出逢いを引き寄せるかとか、付き合ってからどう続けていくか講義をしたり、または本当にツインソウルかどうかカウンセリングで判定してくれたりするのかもしれません。
私は男性だからか、ツインソウルに出逢いたいと考えたこともないし、全然興味もありません。
おそらく多くの男性は私のような感覚なのではないでしょうか。
そのようなことをAさんに伝えたところ、
「女性は愛に生きる生き物で、いつも男性のことを考えているの」
だから、男性とは(脳が)違うのよ、ということでした。
私も愛に生きているつもりですが、愛にもいろいろあるようです。(苦笑)
ツインソウルのカウンセリングって果たしてどうなのでしょう?
別にそれを専業にしている人を揶揄するつもりは毛頭ありません。
ツインソウル同士のカップルがカウンセリングに来て、「私たちはツインソウルでしょうか?」と問われれば、果たして「No」と答えることがあるのでしょうか。
どのくらいの精度で判定できるのかわかりませんが、「Yes」を期待して来る自称ツインソウルのカップルを失望させるわけにはいきません。
かつて、インドの聖者スワミ・カレスワーラは「クライアントを満足させて帰らせなさい」と語っていました。
ツインソウルの事例に当てはめるなら、例え2人がツインソウルではないとわかっても「違いますね」と伝えてはいけない。
反対に「こんなしっくりはまるツインソウルは見たことがありません!」というようなことを言って持ち上げて喜ばせてあげることがスワミ・カレスワーラの真意だと思います。
ツインソウルと診断されたカップルは、その後それを信じて一層仲睦まじくやっていくこと間違いありません。
逆に、ツインソウルではないという診断を告げられたら、仲のよかったカップルもギクシャクして別れてしまうかもしれません。
恋愛は簡単なことではありません。
若い人には恋愛に興味がないという人が増えていると聞きますが、恋愛をするにはそれなりの成熟した人間性と心理的な技術が必要となります。
私は、高校の課外授業で教えてもよいのではないかと思うくらいです。
高校の科目は、社会に出ても全然使わない、役に立たない勉強が多く、正直不毛かつ不要だと思います。
それなら、恋愛や結婚の授業、子育ての授業の時間を設けた方が余程社会のためです。
その知識を何も知らずに性欲の延長で結婚し、子育てに入っていけば、子供が子供を育てるような状況になります。
親としての資質がない者に育てられた子供が大きく成長し、同じことを世代間で繰り返す悪循環に陥ります。
さて、恋と愛の違いをお話しましょう。
恋は、恋の病というように突然何かのホルモン分泌と共にスイッチが入り、勝手に盛り上がって高揚し、あたかも核融合反応のようにエネルギーが膨れ上がりメンタルが熱く不安定になる現象のことをいいます。
「私を見て」「私だけを愛して」という、相手よりも自分大事で、ベクトルが自分に向いているメンタリティです。
対して、愛とは、持続させようとする相互の強い意志を伴うもので、無償の愛というように相手に過度の期待をすることなく、2人の間で絆を築き上げていく地道な作業だと言えます。
愛は恋と反対で、私よりも相手の幸せを第一に考える、ベクトルが相手に向いているメンタリティです。
恋はいつか醒める。
だから恋は醒めたら終わりで、別れる選択をすることになります。
愛は、常に持続させようとする意志を伴いますので、時に乗り越えるのが大変なことにも遭遇し、共に乗り越える毎に絆を深くする一面があるでしょう。
意志が強ければ、愛は一生涯続くのです。
結婚式では一生愛し抜くという誓願を立てますが、愛はそのような確固たる意志がベースになっています。
今、もし伴侶やパートナーがいれば、その人がツインソウルかどうかは正直どうでもいいと私は思います。
ツインソウルだったら大事にして、ツインソウルでなかったら粗末に扱ったり、他の異性を探したりするのでしょうか?
答え合わせができない命題に正否を求めても仕方ありません。
今いるパートナーをツインソウルだと考え、愛を育み大事にしていってはどうでしょうか。
男女の関係は、99.9%別れが訪れます。
どんなに仲が良い夫婦やカップルでもそうです。
人生の途中で、違う道を歩むようになる可能性も大きいですが、死別という可能性も年を重ねる毎に増えていきます。
私の周りでも伴侶を死別で亡くしたという話を時々耳にするようになりました。
いつか別れることが確定なのですから、今会えるパートナーを大事にして愛をたくさん育んではどうでしょうか。
結婚や同棲をし生活を共にしていたら、いつでも会えると考え惰性に陥りがちですが、それでも1回1回会える機会を大事にありがたく思った方がいいです。
今回が最後になるかもしれないと一期一会の気持ちになれば、お互いの愛情も一層濃くなるのではないでしょうか。
愛は強い意志を持って育むものです。
だから、他所に魂の片割れがいて、自分を求めているかもしれないというファンタジーのようなことを夢見るのではなく、今ある人に全力を注ぎ、一生愛し抜く方がいいというのが私の考えです。
あるお客様の奥様は、書棚にツインソウルの本がところ狭しと並んでいたそうです。
亭主がいながら、別のパートナーをあからさまに求めるのは、亭主に失礼だと思いますし、それでは夫婦生活はうまくいくはずがありません。
仮に、ツインソウルと出逢った、そして付き合ったり結婚したりすることになった。
でも、そこに強い意志で愛を育むという意識がなければ、何かの不満をきっかけに脆くも関係性は破綻してしまうでしょう。
いくらツインソウルの関係でも恋のままでは続かないのです。
愛に昇華させていかなければなりません。
今ある人を大事に愛することができず、「隣の芝生は青い」と新たな人を求める意識では、何回恋愛をしても破綻が訪れるに違いありません。
恋愛は99.9%別れが訪れます。
別れない恋愛があったらいいですよね。
でも、まずほぼ100%無理です。
しかし、唯一別れが訪れない0.1%があります。
それは2人一緒に死ぬことです。
渡辺淳一の「失楽園」のような無理心中ではなく、ほぼ同時期に死ぬことと考えていただければよいでしょう。
愛し抜いた夫婦は、片方が死んだら後を追うようにして残された人が亡くなります。
最近の例では、石原慎太郎(元東京都知事、作家)夫妻がそうです。
2022年2月1日に亡くなった石原慎太郎の後を追うように、同年3月8日に奥様の典子さんが自然死で亡くなりました。
夫婦一緒にいたかったのでしょうね。
石原慎太郎はあのように湘南ボーイで背も高くいい男で女性にもモテたので、さぞかし典子夫人はご主人の情事に散々泣かされたと推測しますが、まぁそれでも好きで好きで惚れ抜いていたのでしょう。
石原慎太郎は生前、「死んだらクジラに生まれ変わりたい」と語っていました。
ヨットが趣味で、ヨットレースに幾つも出場した海の男だから言える言葉です。
今頃、どこかの大海原を2頭の大きなクジラが悠々と仲睦まじく泳いでいるに違いありません。