人生には「出せば入る」という法則があります。
けれども、この世界で生きている人の大半は、お金であれ、物であれ、地位であれ、異性であれ、奪うことや手に入れることに心が捉われています。
何かを得るために、何かをする。
見返りがあるなら動くし、なければ動かない。
言い方を変えれば、打算や損得勘定で動いていると言ってもよいかもしれません。
そして多くの人が、そのことに気づかないまま、「なぜ自分の人生は豊かにならないのだろう」と首をかしげているのです。
呼吸は吐くから始まる
気功の世界では、呼吸をとても大切にします。
呼吸という言葉をよく見てください。
「呼」は息を吐くこと、「吸」は息を吸うこと。
先に来るのは吐くなのです。
肺の中の空気をしっかりと吐き切ったとき、はじめて新しい空気が、深く、たっぷりと入ってきます。
反対に、吸うことばかりに意識を向けて息を溜め込んでいると、胸は苦しくなるばかりで、新鮮な空気は入ってきません。
命の営みそのものが、すでに「出せば入る」でできているのです。
たらいの水の教え
江戸時代の農政家、二宮尊徳は、この法則をたらいの水にたとえて教えたと伝えられています。
たらいに張った水を、自分のほうへかき寄せようとすると、水は両脇をすり抜けて向こうへ逃げていく。
ところが、水を相手のほうへ押しやると、水はたらいの縁に当たって、ぐるりと自分のもとへ還ってくる。
欲しい欲しいとかき集めるほど逃げていき、相手のためにと差し出すほど還ってくる。
お金も、人の縁も、幸せも、すべてはこのたらいの水と同じなのです。
「生活のために働く」の落とし穴
仕事を例にとってみましょう。
月々30万円のお給料を得るために、自分の時間と労力を差し出して働く。
「生活のために、働かなきゃ」とは、よく耳にする言葉です。
これは、収入を得る(=入れる)ために、働く(=出す)という意識の構図になっています。つまり「入れるために出す」であり、「出せば入る」とはまったく逆なのです。
この意識で働いていると、仕事は「時間の切り売り」になります。
月曜日の朝はため息とともに始まり、金曜日の夕方だけを心待ちにする。
入ってくるものは、契約で決められた分だけ。
それ以上でも、それ以下でもありません。
この意識で動いている限り、人生に大きなチャンスや縁が訪れたり、ドラスティックな変化が起こったりする可能性は、残念ながら少ないでしょう。
たらいの水を、必死に自分のほうへかき寄せているのと同じだからです。
お金は後からついてくる
そうではなく、
「自分の能力を、誰かの役に立てたい」
「自分にできることで、人を幸せにしたい」
だから働く。
この行動パターンに変わると、たとえ最初はお給料(=入るもの)が少なかったとしても、次第に流れが変わっていきます。
「お金は後からついてくる」と言われる所以(ゆえん)です。
自分を活かす(=出す)、その結果として収入が得られる(=入る)。
これこそが「出せば入る」の構図です。
そして、入ってくるものはお金だけではありません。
「あなたにお願いしたい」という信頼。
思いがけない人とのご縁。
「ありがとう」という感謝の言葉。
そして、心の奥まで満たしてくれる愛。
損得勘定をすれば、明らかに損な選択に見えることもあるでしょう。
けれども、それに頓着せず、自分を活かして他者に与え続けていくと、誰かの役に立ち、誰かを生かすことにつながり、やがて自分自身の人生も大きく花開いていくのです。
近江商人は「売り手よし、買い手よし、世間よし」の三方よしを商いの心得としてきました。自分だけが得をする商いは長く続かない。
相手と世の中を先に潤す商いこそが、何代にもわたって繁栄していく。先人たちは、この法則をちゃんと知っていたのです。
「商品でなく、自分を売れ」の本当の意味
営業の世界には、「商品でなく、自分を売れ」という言葉があります。
これを私流に言い換えると、
「物や情報を伝えるのではなく、自分の愛(想い)を伝えなさい」
という意味になります。
たとえば、こんな二人の営業マンがいたとします。
一人目は、商品知識を誰よりも蓄え、資料を広げて、性能や価格の優位性をよどみなく説明します。
けれども頭の片隅には、「今月のノルマまであと少し。何としても契約を取らなければ」という焦りがあります。
二人目は、口数が多くありません。
まずは相手の話にじっと耳を傾け、何に困っているのか、何を大切にしているのかを、心から知ろうとします。
そして最後に、静かにこう言うのです。
「この商品が、きっとあなたのお役に立つと思うのです」
どちらから買いたいと思うでしょうか。
一人目の言葉は、情報として相手の頭に届くだけです。
情報があふれる今の時代、それは瞬く間に忘却の彼方へ消えていきます。
しかも「ノルマをクリアしなければ」というエゴは、言葉にしなくても不思議と相手に伝わってしまうものです。
人は、自分を数字として見ている相手には、心を開きません。
二人目の想いは、相手の魂に届きます。
「この人は、本当に自分のことを考えてくれている」
そう感じたとき、人は自然と心を動かされます。
それが「自分を売る」ということです。
「自分を売る」ことの実態は、自分の愛を伝えること。
それができる人こそが、一流の営業マンです。
世間では、トップセールスというと押しが強く弁が立つ人を想像しがちです。
けれども実際には、寡黙で一言に重みがある人、話すよりも聞くことが上手な人が多いものです。
彼らは言葉ではなく、愛で人を動かしています。
お金がなくてもできる出すこと
「でも、自分には人に与えられるものなんて何もない」
そう感じる方もいるかもしれません。
仏教には「無財の七施(むざいのしちせ)」という教えがあります。
お金や物がなくても、誰にでもできる七つの施しのことです。
優しいまなざしで人を見る「眼施(げんせ)」
穏やかな笑顔で接する「和顔施(わがんせ)」
思いやりのある言葉をかける「言辞施(ごんじせ)」
体を使って人の役に立つ「身施(しんせ)」
相手を思う心を向ける「心施(しんせ)」
席や場所を譲る「床座施(しょうざせ)」
人を温かく迎え入れる「房舎施(ぼうしゃせ)」
一つひとつは、ほんの小さなことです。
けれども、この小さな「出す」の積み重ねが、やがて大きな「入る」となって人生に還ってきます。
与えられるものが何もない人など、この世にひとりもいないのです。
その想いは、エゴか、愛か
何かを成し遂げたいと思ったとき、一度、自分の胸に問いかけてみてください。
その想いの一番深いところにあるのは、エゴなのか。
それとも、誰かを幸せにしたいという愛なのか。
もし、その答えが愛であるならば、あとは損得勘定を手放し、神を信じて、ただひたすらにその道を精進するのみです。
結果が出ない日もあるでしょう。
報われないと感じる夜もあるでしょう。
それでも、差し出した愛は決して消えてなくなりはしません。
たらいの水のように、必ずどこかで巡り、あなたのもとへと還ってきます。
静かな湖面に投げ入れた小石が、波紋となってどこまでも広がっていくように、エゴが少なく、愛の力が大きければ大きいほど、その影響は遠くまで広がり、発展していくものと信じています。