どうしてこうも人生に問題が現れるのか?問題を乗り越えるヒント

人は生きていると様々な問題に直面します。
経済の問題、健康の問題、人間関係の問題、仕事の問題など、まぁ次から次に色々な問題が出てくるものです。
問題が大きければ、強いストレスになり、ひどく苦悩します。
あまりにも辛いと生きているのも辛くなります。
日本は2024年の「世界幸福度ランキング」で54位。
実に生きづらい国だと思います。

問題が起きた時に、それをどう解決するか?
現実的な対処法というのが様々あります。
法律が絡むような問題であれば、専門家の弁護士に依頼する必要があるでしょう。
皆、それぞれが現実的な対処法をいろいろと思案し手を打ちます。

しかし、その問題がクリアになると、また同じような別の問題が出てくる。
一個解決する度に、また次の問題が出てくる。
そのような経験はないでしょうか?
「一体どうして私の人生はこんなにも問題が次々に起こるのだろうか」と思うことはありませんか?
また、「なぜ自分だけこんなに問題が多く起こるのだろうか」と我が身の不幸を呪いたくなる気持ちになることはありませんか?

一つお伝えしたいのは、この地球に住んでいる人は多かれ少なかれ誰もが問題を抱えているということです。

「あの人は毎日幸せで楽しそうだ、羨ましい・・・」

と我が身の境遇と比較し惨めな気持ちになることもあるかもしれません。
しかし、本当はそのように幸せそうに見える人でも、何らかの問題を抱えて苦しんでいたりします。
傍からはそれがわからないだけです。
毎日笑顔で、元気はつらつ、楽しそうに見えるあの人も、内面では問題や苦悩を抱えていたりします。
それを出さないから、傍目に見て「あの人だけずるい」とか「羨ましいなぁ」となるのです。内なる苦しみを出さないように長年生きてきたので、他人からはわからないのです。

また、一方で身体に重度の障害があって、傍目に「この人の人生は大変そうだ」と見えていても、当の本人はさほど気にしていないこともあって、他人からはわからないものです。

例え、大金持ちであっても、それは彼らなりの苦悩があります。
主婦であろうが、社長であろうが、問題が現れてくるのは同じです。
問題の内容と質が人によって異なるだけです。
例えば、社長は会社の人事や財務のことでいつもああでもないこうでもないと心配ばかりしている、片や主婦は子供の教育や家計のやりくりで今月はどうしようと心配ばかりしている・・・という具合で、立場が異なれば内容は違いますが、苦しみの度合いという点ではさほど変わりありません。

この地球という星は、私たちの本質である魂が修行のために生を受けています。
長いか短いか人生のスパンは違いますが、その人生の中で魂を成長させるのが目的です。
魂を成長させるには、すべてが順風満帆でうまく進んではダメなのです。
砥石で摩擦によって刃物が磨かれるように、人間の魂は問題や障害があって、そこで初めて磨かれ光るようになります。
問題がなければそれができないではないですか。
だから、この世界では問題が起こることがプログラムに組み込まれているのです。
一つの問題が終われば、次なる問題に直面する・・・それがプログラムで、人生というゲームで1プレイヤーを体験しているようなものです。

各自が問題にどう向き合い、どう乗り越えるか?
また、どのような気付きを得るか?
それが魂の修行です。

問題は偶発的に出てくるものではなく、その人に合わせて必要な時に必要なタイミングで起こります。
小学生に大学入試の問題を解かせてもできるわけがないように、未熟な魂に高度な課題は荷重になります。
問題はその人にちょうどいい課題となって現れます。

それを一つ一つ乗り越えるのが人生です。
問題から逃げても、次なる問題が現れて同じように苦悩することになります。
果敢に挑戦しクリアするしかありません。

「あの人は立派だ」とか「自然に頭が下がる思いがする」など、気高い精神を持つ人を前にするとそう感じることがあります。
それは、その人がこれまでの長きに渡る人生の中で、数々の課題を乗り越えて陶冶(とうや)された人格に触れるからです。
人は、孤独の中で苦悩と向き合い、そこで成長します。
ゆっくりゆっくり味噌が発酵するようなもので、時間がかかります。
他人に相談してワイワイやっている中ではヒントは得られても成長はしません。
一人でもがき苦しむことが、魂の滋養になります。

今ある問題を呪うのではなく、感謝の気持ちをもって向き合いましょう。
または、今ある問題に愛を持って対処した場合はどのようになるのかと考えてみましょう。

それによって問題の本質が変容していきます。

アインシュタインが言いました。

「いかなる問題も、それを作り出した同じ意識によって解決することはできません」

アインシュタイン
アインシュタイン

解決することはできないとは、現実的に有効な対処法のことをいうのであって、例えば敵が現れた場合に力を持って制圧したり、撃滅したりするようなことです。
それは確かに目の前の敵は消えていなくなりますが、問題を作り出した意識は相変わらずそのままなので、次なる敵がまた現れることになります。
例えば、がんなどの病気になった時、「病気と闘う」「病気を叩く」などの意識で対応すれば、一時的にがんは消えても、しばらくすればまた再発するということになります。
だから解決できないのです。

私が感謝と愛を持って問題と向き合いましょうと提言したのは、その問題を作り出した意識を超える方法となるからです。

塩田剛三
塩田剛三

合気道の達人・塩田剛三が興した養神館には「対すれば相和す」という標語が掛けられています。
敵対すればお互いが仲良くなるという意味ですが、塩田剛三曰く「自分を殺しに来た人間とその場で仲良くなるのが一番強いのだ」ということです。
敵を倒す武道を教える道場でありながら、その敵と和す道を道場の標語とするのは、いかにも大和民族らしい高貴な精神を感じます。
自分を殺しに来た人間というのは、いわば問題のことであり、塩田剛三の精神は問題をクリアし魂を成長させるのに大いに参考になります。

問題が起きるのは、プログラムが自分をダメにし破壊しようとするためではなく、魂を成長させる糧にするためだと考えてみましょう。
苦しさの中で、感謝の気持ちを持てるようになれば、問題に飲み込まれて翻弄されることもありません。
問題は問題として残っているけれど、どこかで「何とかなる」という心の余裕が持て、そのうち思わぬ解決法が現れます。

私には好きな言葉があります。
それは漫画「風の谷のナウシカ」の第7巻でナウシカが語った言葉です。
その言葉で今回の筆を起きます。

精神の偉大さは苦悩の深さによって決まるのです


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