病気になるかどうかは「自分」が決めている

巷(ちまた)では『コロナを移してはいけない』とか『コロナ感染予防に』とマスク着用が社会的に強要されるようになってきています。
マスク警察が善意のつもりでマスク着用を咎め、それも問題になってきています。
今やコロナが怖いというよりも、マスク警察の様な独善的な他人が怖いという分断の時代に突入しています。

そもそもマスクにはほとんどその効果がないにも関わらず、それをしていない人を非常識・マナー違反に見なす風潮は、幼稚な全体主義に思えてなりません。

実のところ、人がウイルスに感染し発症することについてわかっていることは限定的です。

空気感染・接触感染で、

Aさん → Bさん被曝
Aさん → Cさん被曝

というケースで、Bさん・Cさん両名が同量の被曝をしたとしましょう。
しかし、

Bさん被曝 → Bさん発症
Cさん被曝 → Cさん無症状

というケースもままあり、「被曝→発症」のプロセスはブラックボックスで未解明です。

そのブラックボックスは、免疫力という言葉で濁されているのが実情です。
ウイルスが付着して、それで発症するかどうか明確に説明できる人はいないでしょう。
つまり、コロナが移って発症することについてはよくわかっていないのです。

それなのに、マスク着用を求めたり、ソーシャルディスタンスや自粛といって行動を制限したりするというのは科学的でも何でもなく、全く理に適っておらず、単なる横暴に感じます。

全く生きづらい世の中になったものです。

よくわかっていないのに『コロナ怖い怖い』というのは冷静に物事が考えられていない証左です。
他の病気に比べ、新型コロナの死者数が余りにも少ないのは自明ですが、報道は新型コロナのリスクのみクローズアップして恐怖を煽っています。

「他の病気の死者数は〇〇名で、コロナは〇〇名・・・」と報道すれば、たいしてリスクのない病気であることがよくわかります。
がんの死亡者数は年間30万人を超えていますが、コロナが怖い人は同様にがんを怖がらないのでしょうか?

無症状の人までPCR検査を受けてコロナ感染を調べているのも滑稽です。
40才を過ぎれば、厳密に調べれば誰でも体内にがん細胞があると言われています。
そのような人達は、無症状でも身体のがん細胞も調べてもらったらよいと思います。

まるで、一億総強迫神経症になってしまった様に感じます。
その悪影響で特に飲食店やエンタメ関係、その周辺事業者が営業自粛を求められ、見ていて気の毒を通り過ぎて怒りを覚えます。

政府に政策を進言する専門家会議の連中の責任は極めて重大で罪が重いものでしょう。
もちろん法律に違反していませんから罰せられることはありませんが、自分がわかったつもりで助言した政策が多くの無辜(むこ)の民を非情に苦しめていることは、想像すれば容易にわかることです。

スウェーデンなど、マスクもなし、自粛もなしでコロナ社会をコントロールしていますから、参考にすれば良いと思うのに、なぜできないのでしょうか?
「防疫担当のテグネル氏を明治時代のお雇い外国人よろしく招聘(しょうへい)すれば良いのに・・・」と思ってしまいます。

アンデシュ・テグネル
アンデシュ・テグネル

私はウイルスや感染の専門家ではありませんが、人体について気を通して知る専門家です。
人間のことについては、専門が細分化し過ぎた科学者や医師より熟知していると自負しています。

コロナについては素人も含めて喧々諤々(けんけんがくがく)と誰もが一家言持つ状況なので、敢えて専門家として言わせてもらえば、感染し発症するか否かは、個々人の潜在的意思が関わっていると考えています。
つまり、受動的に被曝し病気になるのではなく、感染して発症するかはその人が決めているのです。
別の表現をすれば能動的に病気を発症させることを選択しているのです。

これは西洋医学的見方一辺倒の現代ではわかってくれる人は極めて少数だと思います。
ナチュラルな生き方をして本質を見極める目を持っている人、自然療法家、整体師、手技療法家の一部にはわかってくれる人もいるかもしれません。

言葉は物事の本質を表していますが、『風邪を引く』、英語の『catch a cold』(=風邪を捕まえる)という言葉は受け身ではなく能動です。

かつて日本には野口晴哉(はるちか)という天才整体師がいました。
彼の名著『風邪の効用』には次の様に書かれています。

野口晴哉

風邪というものはうつらないのです、本当は・・・

風邪がうつるということは考えたことがない。引くべき体の状態なら引くし、うつれば儲けものと思っている。風邪をひけば丈夫になるのですから、うつっても全然構わない。

移れば免疫が獲得できますので、人体は更に強化されるのです。
天才整体師の目には、「風邪は移るものではない」と写っていたのでしょう。

また、同じように風邪が移るものではないということを森下敬一医師が『最強の自然医学健康法』で次の様に語っています。

腸内で腐敗現象がおきると、腐敗産物であるアミン・アンモニア・フェノール・硫化水素・インドールなどが発生する。それと同時に、病的なウイルスも生み出されるのである。
昔は肉食をすると毒素が生まれると言われていたが、その毒素こそウイルスに他ならない。
顕微鏡の精度が良くなって、毒素といった漠然としたものの名前で呼ばれていた実体がウイルスであったことが明らかなったわけだ。
加えて、いろいろな腐敗産物や病的ウイルスが発生する状態になった腸内では、そこに棲んでいる腸内細菌の性質も悪質化して、いろいろな病的バクテリアがのさばりだす。
病的なバクテリアやウイルスには、いろいろな種類のものがあるけれども、それらは結局腸内の腐敗によって生み出されていると考えてよい。
中略
たとえば、風邪のウイルスとか、ガン・ウイルスとか、肝炎ウイルスなども体の外から侵入ものではなくて、すべて自分の腸の中で自家生産したものである。

ここで紹介した2名は人体に熟知している治療家・医師です。

人から人に外から移らないということはないにしても、空気感染・接触感染がすべてではないでしょう。
私はそれに加え、エネルギー的感染もあると思っています。

今朝のテレビ番組で、コロナ発症者が病状について語っていました。
私はそれを何気なく見ていただけですが、その途端に急に胸が苦しく咳が出て来ました。

「やべっ!入ってきちゃった・・・」

と感じ、結局30分位咳が続いて邪気(この場合はコロナウイルスか?)を出すのに時間を要しました。

テレビやインタネットのホームページなどからはエネルギーが出ていますので、ウイルスや細菌、または霊的エネルギーは画面からも放射されていると考えた方が良さそうです。

かつて、ユリゲラー氏がスプーン曲げを番組で披露した際に、「これを見ている人もできます」と言っていました。
氏はテレビの電波を通して、超能力エネルギーを視聴者に伝え、それを受信した人はその場でスプーン曲げが可能になりました。

もちろん、その能力は一時的なものですぐに消失してしまったのですが、要はテレビから気(エネルギー)が伝わるということを言いたかったのです。

同じ様に、コロナの患者のシーンばかり見ていたら、エネルギー(邪気≒ウイルス)が移ってしまうことも十分あり得ます。

「風邪がうつらない」とか、「エネルギー的に移る」というと、頓珍漢な印象を持つことでしょう。
今の現代文明の人が中世の人達を未開な蛮族だと蔑んでみるように、数百年後の文明から現代人を眺めれば盲信的で無知な群衆と見られるのかもしれません。

私たちは西洋医学の常識に縛られているだけで真実はまだまだ分かっていません。
少なくとも排他的な考えを持たずに、多様な情報に対し、オープンな心を持ち続けたいものです。

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