気で真贋(しんがん)を見極める

真贋とは、本物と偽物のことを言います。

世の中には本物と偽物が玉石混交で存在しています。

より質の高い人生を送りたいと希望する人は、本物を見極めて、それが身の回りに多くなる生活を送らねばなりません。

偽物に関わる時間は人生の無駄になります。

なかなかそれをゼロにすることはできませんが、持ち物や交際などできるだけ本物と付き合っていった方が人生は豊かになります。

真贋を見極める過程で、多くの選択を重ねます。

人生はとかく迷いと選択の連続と言えます。

日々生きていく中で、一体いくつもの選択をしていくことでしょうか。

ビジネスをしている人はとかくそうです。

小さな選択を無数に重ね、事業を回し、発展・繁栄していきます。

そして、少しの選択ミスが致命傷になることもあり、トップの判断はその意味で責任重大と言えます。

人生の岐路に立たされた時は、特に選択に迷うものです。

この人と結婚していいのだろうか?

今、離婚した方がいいのだろうか?

今、会社を辞めてもいいのだろうか?

引越をしてもいいのだろうか?

大きな選択をする時は、その重さに耐えきれず、霊能者などの超常の力を持つ者に判断を委ねる人も少なくないでしょう。

それが故に、霊能者や占い師は数多存在し繁盛しているのです。

氣に習熟するメリットの一つに、波動を感知する能力が磨かれるということがあります。

氣を感知する能力は、超能力というよりも、むしろ人間に備わっている原始的能力と言った方がよいかもしれません。

私は自分自身のことを特に超能力者とは思うことはありませんが、触れずに気功療法で病者を癒し、世界中に遠隔気功をしていると見れば、立派な超能力者と見えるかもしれません。

しかし、このような超常の力は文明が発達し、生活が便利になるに従って、徐々に退化していったのでしょう。

気に習熟し、波動を感知する能力が高まれば、選択は精度を増していきます。

万物は波動から成り、それ特有の波動(バイブレーション)を発しており、それが有力な判断材料となるからです。

精妙で、爽やかで、軽やかで、荘厳とした波動から、ジメジメ・ドロドロ・ゾワゾワし、不快で気持ち悪い波動まで多様に存在します。

そのような波動がいろいろな物から発せられています。

私はスーパーで食品を買う時にその感覚が役に立っています。

基本的に牛豚鶏の肉は食べませんし、魚もお付き合い以外は食べません。

化学調味料など添加物も気を付けて摂らない様にしています。

スーパーの棚に陳列してある食品の袋を手にした時に、嫌な波動を感じたらそれを棚に戻し購入することはありません。

食品から感じる波動で、自分に必要なものか、害があるものか、ある程度判断がつきます。

本も波動を発しています。

それは文章を書いた著者の波動です。

著者が大衆の人気を得ていて、もっともらしいことを述べていても、本を手にし、本が発する波動を感じて、読むに値しないと判断することも少なくありません。

そのような本を読むのは時間の無駄というものです。

発行部数などの人気や、価格などの要素が訴求になることはありません。

購入に際し、本の中身も検証しますが、それ以上に選択の材料になるのはその本が発する波動なのです。

波動は、情報の正確性や論理の正しさを表すというより、著者の意識の高低を反映しているものと思います。

たとえ論理や筋道が通っていても、意識が違う人とは住む世界が違いますから、読むに値しないと考える訳です。

その延長で言えば、手紙などの文字からも波動が伝わってきます。

筆跡だけではなく、メールやLINEも同じです。

特にLINEは波動が伝わりやすいです。

感情が入りやすいからでしょう。

人から寄せられるメールやLINEには送り手の情報(波動)が含まれています。

そのため、必要な時には相手の状態をそれから感じ取ることもあります。

いつもいつもやっていては、仕事が進みませんので、時々必要に応じてやるようにしています。

波動を発するのは物だけではありません。

日常使う言葉も波動を発しています。

よく言葉は言霊(ことだま)と言われるように、言葉には波動があります。

人生をより良くしていくためには、ポジティブで明るい言葉を使わなければなりません。

それは、そうした言葉を日常多用していくことで、そのような人生が形成されるからです。

逆に人を恨んだり、罵ったり、貶めるような言葉をいつも使っていれば、間違いなくそのような人生が形成されます。

このように万物は波動を発しています。

年末年始に「芸能人格付けチェック」なる番組がやっていたのを見たことがあります。

ワインなど、1本100万円の物と5000円の物と芸能人が飲み比べして真贋を当てっこする内容のもので、ガクトさんが得意なのです。

あの選択も、波動を見れば、たとえテレビの画面越しでも一目瞭然で迷うことはありません。

昔テレビを一緒に見ていた家族は、私が全部当ててしまうのに驚いていました。

やはり本物は良い波動を発しているのです。

これは本当に面白いものです。

家元が作る盆栽と、高弟が作る盆栽では、その波動が違うのですから。

見た目だけではどちらも立派な盆栽に見えて、優劣の差が見分けられません。

しかし、盆栽が発する波動が違うというのは、家元と弟子とでは修行を通して研鑽される魂のレベルに差が歴然とあるとみることができます。

さらに、重要なことは、人間にも固有の波動があり、それを見れば高級な人から低俗な人まで区別がつくことです。

だいたいその人の生き方や言動を見れば、それからもある程度判断できます。

しかし、お金持ちや地位がある人が即ち立派で高級かというと、必ずしもそうではありません。

質素で名もなき人物が高級な人であることも珍しくありません。

病気で長く苦しんでいる人の中には、思いやりがあって優しく気高い人が少なくない様に思えます。

弱い人の立場や気持ちが身を以てわかるからでしょうか。

やはり人間は艱難辛苦を得て魂が磨かれるのでしょう。

肩書やお金だけ持っていて中身がない人より、このような人の方がよほど人間が立派で高級だと感じます。

このように氣を感知できると、便利なことが多いのです。

でも「自分はわからない」という人も、まったく諦める必要はありません。

そんな場合は、自分の胸に聞いてみましょう。

胸の奥には宇宙に繋がる魂の座があり、それに問えば大抵のことはある程度わかります。

迷いが生じた時や選択に苦しむ時には、精神統一し気を丹田に静めます。

そして、胸に片手を置いて深呼吸すれば良いのです。

呼吸が苦しく胸が塞がっている感じを受ける場合は、その選択は間違っていると判断することができます。

逆に、呼吸が楽で胸が通っている感じを受ける場合は、その選択で良いと判断できます。

現在は世界中がコロナ禍でたくさんの人が目に見えない恐怖に(さら)されています。

その上でどのような行動をとるべきか、何が正しくて、何が間違っているのか選択に迷うことが多くなっています。

ワクチンのこともしかりです。

大勢が選んでいることが即ち正しいことにはなりません。

私の経験上では、大衆が進んでいく方向は間違っていることが多い様に思います。

それは近現代史を勉強すれば明らかです。

「人の行く裏に道あり花の山」と言われます。

群衆が付和雷同で進んでいく先には得られるものはなく、むしろ害があることが多い。

人の行かない道を進むことで、得られるものがあるという意味です。

これは私の人生訓の一つでもあります。

今ほど、真贋を見極める自分自身の選択力が大事になる時代はないのです。

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