がん完治までの記録~子宮頸がん・Yさんの体験談から~

「病気になった時、病気とどう向き合うか」

それはその人の人生観・哲学が表れるところです。

一般的には、病気に対する深い理解がないため、病名の診断を受ければそのまま病院の規定の治療コースに乗ってしまうことになります。

もちろん、それで完治して元気に過ごしている人もたくさんいるでしょうが、その一方で、薬害から命を落としている人、副作用で苦しんでいる人も相当数いるのが実情です。

私は気功治療に携わる立場で、これまでに抗がん剤の副作用でボロボロになってお亡くなりになっていった方々をたくさん見てきました。

特に、「がんという病気に対してどう向き合うか」、「がん治療でどの様な治療法を選択するか」は、命に係わる非常に重大な問題です。

それだけではなく、死への向き合い方、死生観の持ち方も問われてきます。

結局、病気はあるけれど、その中で「生をどう全うするか」というその人の生き方が如実に表れるところと言えます。

がんなどの大病になって、改めて「さぁ、考えようか・・・」と構えていては、通常の医療のコースに乗るしかなく、実際のところ最良の選択をすることは難しいでしょう。

そのため、私は常日頃からサットサンガ(真理の集い)で、「病気との向き合い方」「死生観」「生きる意味・目的」「がん」などの様々なテーマで説法をし、情報過多に揺るがない確固たる自己を確立するための取り組みをしてきました。

この様な人生哲学の形成は一朝一夕には行かず、思惟が信念に熟成するための長い時間が必要です。

今回は弊院で気功治療を受けたYさんからがん治療の体験談をお寄せいただきました。

とても文章が上手で、状況が手に取る様にわかりますし、その時の心の葛藤が伝わってくる様です。

現在、がん告知を受けている方、または健康ではあるけれど健康法などに関心がある方に大いに役立つ体験談ではないかと思います。

ご一読いただき、ご自身のケースに当てはめて考える機会になってくれたら幸いです。


<告知から治癒に至るまで>

毎年子宮頸がん検診を受けていましたが、年々良くない結果をもらうようになっていました。手術をしないで治そうと努力してきたつもりでしたが、とうとう高度異形成という結果が出てしまい、このままではがんになる可能性が高いので手術をするようにと医師から説明がありました。とてもショックでしたが勧められた子宮頸部円すい切除術を受ければ、もう気に病むこともなくなるだろうと、複雑な思いで手術を受けることにしました。

 円すい切除術の2週間後、病理結果が出ました。
そこで思いも寄らない告知を受けたのです。

「摘出した中に扁平上皮癌 上皮内癌が見つかり、断端陽性でまだ取りきれず残っています。お子さんを望まないなら子宮全摘です。紹介状をお渡ししますので早く大学病院に行ってください。優先して対応してくれるはずです。」

部分摘出手術もありますが7~8時間を要するとても難しい手術のようで、40歳を過ぎて妊娠の確率が低い人は、比較的簡単な子宮全摘手術をすることが一般的との内容でした。

”今日は辛い検査や手術もないし結果を聞いて帰るだけ。厄介事が片付いてスッキリして帰れる!”

そんな気持ちは一瞬で消えてなくなりました。
病院帰りの景色は来た時とは全く違って見え、まるで別の世界にでも放り込まれたかのようでした。悲しみと恐怖の闇に包まれ、次から次へと涙が溢れ出てきました。

“私死ぬかもしれない…”

その時初めて死を意識しました。

 告知の3年前になりますが、長い闘病生活を続けた母が他界しました。
過酷な日々の中、気づけば私は心身が衰弱し感情が無くなり笑い方も分からなくなっていました。幼少の頃から母は精神を病んでおり、当時は良い思い出など何一つないと感じていました。穏やかな日などたった一日もなかったからです。その為、そのような母を看ることは本当に苦痛であり、亡くなった時は悲しみよりもやっと解放されたという思いの方が上回っていました。

が、その直後から今度は高齢の父が入院手術を繰り返すようになり車椅子になってしまいました。父も感情が激しく怒鳴り癖があり、癇癪を起さない日はありませんでした。てんかん発作の持病がある知的障害者の姉もいます。

全て投げ出したい気持ちでしたが見捨てることも出来ず、自分を奮い立たせる毎日を送っていました。長く先の見えない家族のケアに心身疲れ果て、家族を車に乗せて移動している時は、対向車にトラックを見つけると突っ込むタイミングを考えてしまう事もありました。

円すい切除術当日、全身麻酔をする直前は、

”術後は意識が戻らなくてもいい。もう家のことをやらなくて済むから…。”

そんな思いで手術に臨んだことを今でも鮮明に記憶しています。

“なんて愚かな自分だったのだろう…。”
“子宮頸がんワクチン、なぜもっと早く出来てくれなかったのかしら。”

様々な思いがめぐり、また涙が止まらなくなりました。(残念なことに、現在ワクチンを打った方の中には大変なご苦労をされている方がいらっしゃいます。)

そして本当に自分勝手なもので、

“助かりたい!! 生きたい!!”

今度は本気でそう思う自分がいました。 

私は以前、家族や友人の病がきっかけで福田安保理論の「自律神経免疫療法」や「免疫革命」を読んだり、福田稔先生のセミナーに参加したりしたこともありました。病気に対する考え方が180度変わり理解していたつもりだったので、まさか今回のようなことが自分の身に起こるとは思いもしませんでした。
結局わかっているつもりでいただけだったのです。

そんな自分に愕然とし、医師の言う通りに全摘手術を受けた方が良いのではとも考えました。ですが、やはり病院の治療方針に納得できずにいました。

“がんの三大治療といわれるものに頼らず何とかならないものか。”

そんな時ふと肌荒れで困っていた頃の事を思い出しました。
シャレコスキンケアさんの化粧品に出逢ったことで、肌が改善したという経験です。
薬の使用を中止し正しいお手入れをすることで、モルタルの外壁のようになってしまった肌がどんどん良くなっていったこと。これまで何の疑いもなく使用していたステロイドやアトピー薬、ワセリンに対して、初めて疑問を持つようになり、調子が悪くなればすぐ薬に頼るという考え方を大きく変えてくれた出来事でした。

“体も自分の力を取り戻せるのではないかしら。”

福田稔先生が残してくださったお言葉の

「人は治るようにできている。」

“正しいやり方をすれば、体にも同じことが起こるのでは…。
もし三大療法に頼らず治癒に至れば、私の周りの人たちに何かを伝えることができるかもしれない。自分の体で試してみよう。”

そのような思いに至り、治すことが与えられた使命のように強く感じるようになりました。

改めて本を何度も読み返し、また新しい本にも出逢いました。
中でも気功の水野先生から教えて頂いた、中村天風の「運命を拓く」は私の心をとても強くしました。また水野先生の存在と気功施術は、大きな支えとなり新しい世界を広げてくれました。そしてさらなる知識と新たな気づきをいただくことになったのです。

初めて心と身体の仕組みを知ることになり、真っ先に恐怖というものを手放しました。この恐怖や不安というものが、一番治癒の妨げになるからです。
恐れという感情が一番恐ろしいと知ると、手放さない訳にはいきません。
命がかかっていますので、

“シクシク泣いて悲しんでいる場合ではない!”

と気合が入りました。

そして病院には行かず自分で出来ることをひたすら続けてみようという大きな決断をしました。周りには理解してもらえないと思ったので、家族以外に病気の事は話しませんでした。
実際家族にも反対されたのですが、自然治癒について説明し、全て自己責任で覚悟を決めているということを理解してもらいました。そして病人扱いをしないでほしいと思いを伝えました。
もし途中でがんが進行してしまっていたら、再度考え直し別の方法を選択すれば良いことであり、どうしてもダメだった場合は手術することも範疇にありました。

“よし、出来る限りやってみよう!”

方向性は決まりました。

得た知識や理論を軸とし、信念を持つ。
治った時の自分を思い描く。

それが心の支えになりました。

それからは恐怖を手放したおかげで、不眠症気味だったはずが毎晩ぐっすり眠れるようになりました。

それから約5ヶ月。
告知以来、初めて大学病院に検査に行きました。
もし進行していればやり方を改めなければいけないので、経過を知る必要があったからです。

その1週間後、検査結果を聞きに行った時の事です。
自分の番が回ってくると、真っ先に医師から手術や手術前検査の日取りを決める話をされました。

“やっぱりダメだったか…”と思いながら、

「先日の検査結果はどうでしたか?出来れば結果を書面で頂きたいのですが。」と尋ねると、

「差し上げられません。」と言われました。

“えっ?? なぜ?” と疑問に思いながら、

「教えてもらうことはできますか?」と話すと、

「どうしてもというなら見せることはできます。」とPC画面をこちらに向けてくれました。

そこには、

『癌の残存は認めません。』

とありました。

“消えた…? うそっ? …ほんと??” 

検査結果にとても驚きました。
こんなに早く努力の成果を得られるとは思っていなかったからです。

ですが、同時にこのような病院の対応にも驚きました。
こちらから尋ねなければ検査結果は知らされず、不本意に全摘手術を受けていたかもしれないということです。病院はがんが無くなったことには一切触れず、再びがんができるであろうということを主張し手術を強く勧めてきました。
その勢いに恐ろしさを感じながらも、

「残存していないのであれば定期検査をしながら様子をみていきたいのですが。」と伝えると、

「あなたが持参した検体の中からあんなに沢山のがんが出てきたのに何を言ってるの!またできるに決まってます!!あなたでは話にならないから今度ご家族と一緒に来てください!ご家族の方が臓器摘出を強く望む場合がありますから!」
 
こちらを本気で心配してくれてのことなのでしょうが、それはそれは物凄い剣幕で、私の意見は全く聞き入れてもらえず、話は平行線のままに終わりました。
それからは別の病院で定期的に検査を受けることにし、数年を過ぎた今も良い結果を頂いています。
 

当初は数年掛けてのんびりと自分の出来ることをやろうと思っていました。体の細胞は数年の周期があれば全て生まれ変わると知ったからです。私の場合は、取り残しの小さながんでⅠ期b1ということもあってか、幸いにも5ヶ月で治癒に至りました。
誤診なのでは?偶然なのでは?と言われることがありますが、がんの検体も持参していますしやり方が違っていればがんは進行すると思います。

末期がんから回復された方の本を読んだりすると、やはり人には皆それぞれ治す力が備わっているのだなと強く思います。生活習慣を改めることが大切ですが、心持ちを変える事もとても重要だと感じました。

がんは心のしこり。

自分の過去を振り返り原因をつきとめました。
それは自分の境遇を受け入れられずにいたことだったと気づき、考え方を変えて全てを感謝に変えていくよう努力しました。

そして、病は気づきです。

「今の生き方をしていると持ちませんよ」

と、気づかせてくれるありがたい警告だと思いました。

どんな境遇に置かれたとしても、その状況や周りの人に感謝。
生きているのではなく「生かされている」ことに感謝。
そしてがんに対しても敵だと闘おうとせず、気づかせてくれたことに感謝し癒えていくよう声をかけながら過ごしました。

そして人も自分も許すこと。
毎日自分の体に「ごめんね、私が治してあげるからね。」と謝り、全てを許すようにしていきました。
体の声に耳を傾け、自分がどうしたいのかではなく

「体はどうして欲しいのか」

をよく聴き、癒やしてあげることがとても大切だと思いました。

これらの気づきがこれまでの生き方や考え方を改めることにも繋がりました。
寿命以上に生きることは出来ませんが、与えられた寿命を縮めるようなことはしてはいけないという謙虚さをこれからも持ち続けて生きていきたいです。

私を病だと知りながらも見守り支え続けてくれた家族や水野先生、気づきのきっかけを与えてくださったシャレコさんや先生方に改めて感謝申し上げます。

この体験が、同じ悩みを持っていらっしゃる方の目に留まり、少しでも励みになれば幸いです。


<病の時に試みたこと>


○食事
玄米・菜食・白湯・常温の水・人参ジュース(注:搾りたてのみ)
調味料は塩、味噌、醤油
※よく噛んで食べることを大切に、ストレスにならないように楽しみながら続ける。(百回噛めば病は治るといわれています)

○運動(毎日汗を流す)
有酸素運動、ウォーキング、サイクリング
ヨガ、ストレッチ

〇ケア
気功、瞑想、呼吸を意識する
源泉かけ流し温泉、岩盤浴、炭酸泉
爪もみ、リンパケア、リフレクソロジー

○睡眠
早寝早起き
不眠にならないよう早期に恐れを手放し、安心のもと十分な睡眠を取る。
※恐れは理解していないところからくるものです。
福田安保理論で病になる仕組みと癒える仕組みを知り、世間一般の情報に振り回されない胆力を持つ。

○心持ち
・愛、調和、謙虚さ、思いやり、素直さを大切にする。
・自分も人も許し、全て(ご先祖やがんにも)に感謝する。

◯イメージする
・治ったときの自分を想像し、思いきり嬉しい気持ちに浸る。
・がん細胞が消えていく映像を想像する。

◯その他
・合唱、笑うこと、モーツァルト鑑賞

・患部のチャクラと同じ色の肌着(赤いショーツや腹巻き)を着用する。

・末期がんを克服した人の本を読む

・中村天風「運命を拓く」の誦句を音読する

・なぜ病になったか原因を突き止める
自分ととことん向き合い、医学的なものではない自分にしかわからない原因を追求する。

・病と闘おうとしない
がんは体を守ってくれるためにできた体の一部と考える。叩くのではなく、「おとなしくしてね」と優しく声をかける。

・自分で手当てをする・自分の体に謝る
患部や体に「いつもありがとう、治してあげるから大丈夫だよ」と手を当て擦り、優しく話しかけてあげる。
体はこの世で活動するために借りている乗り物です。
どんな理由があろうと、借りている大切なものを傷つけたことに謝る。

・生かされていることに手を合わせ感謝する
起床時「今日も生かしてくださりありがとうございます。」
就寝時「今日も一日ありがとうございました。」

・病をむやみに人に話さず、病を忘れるくらいの気持ちで生活する。
病人扱いされない環境を自分でつくる。 
病を知っている人に対しては、
もしも私が不安になっているような時は「大丈夫だよ、絶対治るよ。」
と笑顔で答えてもらうようにお願いをしておく。

・神社へお参り
神社はお願いするところではなく、誓いの場と捉えています。
「毎日治すために努力しています。必ず治します。どうぞ見守ってください。」と報告宣言する。

・自然や宇宙という偉大なものに対する畏敬の念を持つ  
太陽の光(特に朝日)を感謝しながら手のひらや患部、背中にあびる 。 
月や夜空を眺め、つながりを感じる。森の中に身を置き、木や植物に触れる。
※鉢植えで枯れてしまった植物を地植えしておくと勝手に再生するという姿を何度も見てきました。間違ったことをしなければ生き物は再生する力を持っていて、それは人も同じだと思います。

<経緯>


2010年7月  組織検査 中等度異形成 
  細胞診  クラスⅢb ヒトパピローマ ハイリスク

2011年 6月 組織検査 軽度異形成

2012年 7月 組織検査 高度異形成(がんになる可能性が高い状態)
   ↓
9月 子宮頚部円錐切除術を受ける
    ↓
10月 がん告知
摘出した細胞からがんが見つかり、取り残しがある。
年齢も40代、子どもを望まないのであれば子宮全摘手術が一般的。大学病院へすぐに行くように紹介状と検体を持たされる。

2013年3月 治癒


病気が治る・・・

それにはこれまでと同じ生き方をしていては難しいでしょう。
薬を飲んで、症状を感じなくさせてしまう、または強引に消してしまう、
これが真の治癒と言えるでしょうか?

私(水野)が最も訴えたいことは、

病気を敵対視しない

ということです。

「闘病」「がんを叩く」などの言葉にある様に、現代の西洋医学、または社会通念は、この様に病気を敵対視する二元論的思想です。

この二元論的思想では、がんを自分と関係ない異物の細胞とみなし、闘い、排除する治療をします。

この場合、患者の心理は常時強い恐怖に苛まれ、一時も休まることはありません。

「がんは怖い」「この野郎、早く消えてなくなってしまえ!!」

という強い不安と攻撃的な心理状態で、果たしてがんが消えてなくなるものでしょうか?

病気を作り出したのは自分自身であり、病気も自分の一部であります。

自分自身の乱れた生活習慣からがんが発現したのか?
自分自身の溜め込んで抑え込んできたネガティブな感情ががんというしこりになったのか?
家系に伝承されてきた見えないカルマががんというしこりになって表出したのか?

がんができた原因は様々ですが、いずれにしても広い意味で「自分」の一部であり、病気を攻撃することは自分自身を傷つけることになります。

病気を含めて「自分」なのであり、自分自身を愛すること・許すことは、病気を愛し癒すことになります。

「病気と闘うという」これまでと同じ意識レベルに依っては病気を治すことはできません。

かつて、理論物理学者のアインシュタインが、

『いかなる問題も、それをつくりだした同じ意識によって解決することはできません。』

と語りましたが、病気においても同じです。

手術でがん細胞を取ったとしても、意識が何も変わっていなければ、また近い将来それが発現し向き合わなければならなくなる可能性が高いです。

Yさんが主張する様に、

恐怖を手放す
すべて感謝に置き換える

ということなしにして、本当の癒しは訪れないことでしょう。

それは簡単なことではありません。
誰でもできることではないでしょう。

だから、がんなどの病気に対して、病院の積極的治療を望まず、自然治癒力を喚起するホリスティックな医療を選択する人は、誰でも

「真の勇者」

だと思います。

Yさんは、その意味で真の勇者ですし、またナチュラルな方法で身体と向き合い治癒を目指していく人もまた真の勇者たりえることでしょう。

(参照)➡ 気功治療カルテ 子宮頸がん

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