桜の蕾がほころびはじめ、各所の桜の木がピンク色に染まり出した春のうららかなある日の朝、郵便ポストにやや厚めのクリーム色の便箋が届いていました。
「何だろう・・・」
裏面を見ると、Yさんからのお便りでした。
Yさんは、「成人T細胞白血病リンパ腫」というリンパのがんを患ったお母様(高橋さん)の娘さんです。
母親思いで、いつもお母様の体調を心配している清楚な方です。
ホールページで私の気功治療院を見つけて、お母様に気功治療を受けるよう勧めてくれて、それから長いお付き合いが始まりました。
そのお手紙には次のように書かれていました。
お手紙は、お母さんの高橋さんのお気持ちをご丁寧に代筆してくれたものでした。
今から4年前、平成〇〇年のある日、原因不明の疲れから検査入院をする事になりました。
結果は「悪性リンパ腫」と診断されました。
私は正直治す事は考えず、自然消滅で良いと思っていたのです。
しかし・・・主人や娘、親戚の心配している姿を見て治そうという気持ちに変わりました。
病状は日々悪化し、寝たきりの状態まで陥った頃、娘がインターネットで水野先生のホームページを見つけ出張療法で気功を受ける事にしました。
1時間程私の体に手をかざし終えた頃、娘達が驚いた表情で私の顔を見て「顔の血色が良くなってる」と言うのです。
気分がとても良く体が軽くなったのは自分でもよくわかりました。
その後、二度ほど出張療法をしていただき、自分の足で先生の所に通うことが出来るまでに回復していました。(※筆者脚注:片道約1時間)
主治医にも「数値が落ち着いています」と言われ、私自身治ったのではないかと思う程でした。
ところがその後、口の中に腫瘍ができ、主治医にリンパ腫などを専攻する大学病院を紹介していただき抗がん剤治療をする事になりました。
1週間が経った頃、髪は抜け落ち食事もまともに摂れない日々が続き涙はこんなにも出るのかと思う程でした。
辛い抗がん剤にも絶え続け、数ヵ月後やっと退院が決まり治ったと思っていた矢先、定期検査で再発と診断されました。
二度目の抗がん剤が始まり一度目より強い抗がん剤のため、顔はムーンフェイスになり浮腫む事で体重も増え体も重く想像を絶する辛さでした。
そして、二度目の抗がん剤が終わり、またやっと退院までこぎつける事が出来ました。
その後、通院と気功を併用している際、水野先生は私に「高橋さんには抗がん剤は合わない」とおっしゃいました。
その言葉が頭から離れず過ごしていた矢先、又再発してしまいました。
主治医は今すぐ入院して治療しなければ1週間後の命も分からないとまで言いましたが、私は水野先生の言葉を信じ入院も治療も拒否しました。
主治医は最後まで反対していましたが私の気持ちは変わりませんでした。
取り敢えず、1週間後の数値を見たいと言われ何としても数値を下げたいと思い水野先生に託しました。
すると1週間後、数値は下がっていたのです。
私も最初、耳を疑いとても驚きました。
数値が下がるなどあり得ないと言っていた主治医が何より一番驚いていたのを覚えています。
その後は落ち着いた日々を過ごしていましたが、ある日突然、下痢が止まらなくなり栄養失調と高熱のため意識を失い入院を余議なくされました。
孫の誕生日を兼ねた旅行が近かった為、水野先生に遠隔療法をお願いした所、徐々に下痢が止まり楽しみにしていた旅行にも行く事が出来る程良くなりました。
その後10日程入院し、退院した今は水野先生の気功を受けながら時折、定期検査に行ってる日々です。
水野先生の言葉を信じ決断した今、とても有意義で充実した日々を送っています。
何かあれば水野先生が居ると思う事でとても心強く不安や心配はありません。
水野先生には心より感謝しております。
本当に有難うございました。
高橋
「本当に治って良かった・・・」
高橋さん(64才)の闘病の日々は、世の中にこんなに辛いことがあるのかというくらい激烈なものでした。
高橋さんは「成人T細胞白血病リンパ腫」という病気で、その中でも10万人に1人という稀な型と聞きました。
予後不良とされ、これという治療の決定打がない病気です。
白血球の正常値は 3100~8400/μLですが、高橋さんの場合13800/μLもありました。
胸部・肝臓・頸部に腫瘍もあって、胸とお腹の痛みが断続的に続き、38℃〜39℃の高熱も頻発し、起きて家事をすることもできない状態でした。
病気そのものの辛さ、抗がん剤治療の辛さは、傍からから見ても目を覆いたくなるくらいのものでした。
そんなズタボロの身体で弱り切っていても高橋さんはとても気丈で、
「私は大丈夫!絶対に治る!」
と細い両腕に力瘤を出して、いつも笑顔で気持ちを高めていました。
スナックを長く切り盛りしてきたママさんですので、根性が据わっています。
「何としても孫が成人するまでは生きるのよ!」
と口癖のように漏らしていたのを覚えています。
それだけに病気が完治し、穏やかな日常生活をお過ごしになっている高橋さんを思うと、まるで私自身が病気から生還し胸を撫で下ろすような心境になるのです。
気功治療家は、1人1人の患者さんに時間をかけて向き合いますので、このように感情移入してしまうことがあります。
思い返せば、はじめて高橋さんとお会いしたのは高橋さんのご自宅でした。
「母が悪性リンパ腫なので自宅で施術をしてほしい」と娘のYさんからご依頼をいただき出張で気功治療を行いました。
その時、高橋さんは仰向けで生気もなく、けだるそうな表情で布団に横たわっていたのを覚えています。
初回の気功治療をした後、リンパ腫で腫れていた鼠径部(ソケイ部)の腫れがひいて楽になったそうです。
4回目の気功治療をした後、鼠径部の腫れのため足が組めなかったのが組めるようになり、病院では「炎症だったかも」と誤診を疑うような発言も出てきていました。
高橋さんは気功治療を受けると「顔まで凄く温かくなった」「身体中が熱くなった」とよく言っていました。
よく施術が終わると、
「来る前と全然違う!!」
と満面の笑顔になるのです。
感情が豊かな方ですので、ぐったりと死んだように来院し、店を出る時には鼻歌を歌っていたこともありました。
そうして気功治療を受けるごとに体調が回復していきました。
11回目の気功治療の時には「最近はカラオケでストレス発散をしているのよ」と元気に回復ぶりをアピールしていました。
その後、調子が安定していたのですが、「上顎に腫瘍ができた」と来院されました。
口腔内を見ると確かに上顎に大きな出来物があります。
病院では「精密検査をしなければわからないが、おそらくはがん(悪性腫瘍)であろう」と診断していました。
私はその場で、
「これはがんではないと思います。良性の腫瘍でしょう。」
と高橋さんにお伝えしました。
私は腫瘍の気を判断の根拠にそう伝え、心配しないように言いました。
病院で診断結果が出て、やはりがん(悪性腫瘍)ではなかったということがわかりました。
しかし、抗がん剤治療をすることになりしばらく高橋さんの来院はここで途切れます。
それから約2年後、高橋さんからまたご連絡がありました。
その間、ずっと入退院を繰り返し厳しい抗がん剤治療を続けていたそうです。
久しぶりにお会いした高橋さんはかつての快活でお元気だった面影はなく、抗がん剤治療で全身ボロボロになっていました。
患者さんがどのような治療を選択するかは、私が関与することはありません。
しかし、この時だけは、
「高橋さんはこのまま抗がん剤治療を続けていては死んでしまう」
と直観しました。
病院での治療を止めさせるのは患者さんの生死に関わることであり、人生を大きく左右することになります。
もし、私が誤った助言をすれば、患者さんは最悪な結末を迎える可能性があります。
私は普段、病院の治療方針や薬の服用については踏み込まないようにしています。
「伝えるべきか、伝えないべきか…」
「今、伝えなければ、伝える機会を逸してしまう・・・」
鳩尾に氷の刃が突き立てられ脂汗が滲み出るような異様な緊張感の中で思いあぐねました。
誤った助言をしてしまうことのリスクを考えれば、高橋さんを助けるために助言する、その一歩が容易に踏み出せません。
この時、私は一度院内から外に出て新鮮な空気を吸いに行きました。
そして、クールダウンした頭で判断し、
「やはりここは伝えなければならない」
と決意し、高橋さんに
「抗がん剤は高橋さんに合っていないのでやめてください」
と穏やかな口調できっぱり伝えました。〔この時の白血球:1300/μL〕
※成人の白血球の正常値(3100~8400/μL)
その助言の効果もあったのでしょうか、高橋さんは主治医に「抗がん剤治療を止める」と伝えました。
その時主治医から「1週間後の命の保障はない」と言われたそうです。
それでも高橋さんは病院でのその後の治療を一切断りました。
主治医の先生からは再三強く治療を勧められていましたが、高橋さんは気功治療だけに絞りました。
この時、抗がん剤をやめて白血球の数値は38000/μLまでも上昇し、38℃〜39℃の高熱が出ていました。
高橋さんは主治医の先生に「気功治療を受ける」と伝えていませんでしたので、主治医の先生もさぞかしご心配になったことと思います。
しかし、主治医の先生の意に反してその後の数値は徐々に回復していきました。
それは常識的にはありえないそうです。
抗がん剤を長くやっていたため、その毒素で手足の痺れもひどい状態でした。
「足にはまるで鉛が入っているみたい」と表現していました。
爪も真っ黒で、髪も抜けてしまっていました。
顔色も浅黒く艶もない状態でしたが、気功治療を続けていくうちに薄皮をはがすようにその悪いところがなくなっていきました。
「このピシピシいっている空間があって本当にリラックスできる・・・」
と気功治療の最中に安堵の表情を浮かべていました。
気功治療では、邪気が身体から抜けると、室内の壁かどこからか「ピシピシ」という音が鳴り響きます。
「ピシピシ」というのは、その音のことを指しています。
治癒の過程では、大量の吐血をしたこともありました。
ある日の気功治療の後、娘のYさんから「母が駐車場で血を吐いてしまいました、申し訳ございません」とご連絡をいただいたのです。
後で見たら、駐車場に大量の血が残っていて
「うわっ!高橋さんこんなに血を吐いたんだ!」
腰を抜かしそうになりました。
気功治療では、気を受けて浄化が始まり、施術中や施術後に排尿・排便の反応が起こることがあります。
浄化とは、身体の毒素や老廃物や邪気を体外へ排泄しようとする身体の防衛反応です。
人は治癒の過程で病気の素となる毒を瘀血(おけつ=汚い血)として吐血や下血などの形で排出しようとする働きがあります。
これ以前にも肺がんの患者さんで吐血がしばらく続いた後に急回復して完治したケースもありましたので、高橋さんにも気功治療で浄化の反応が起きているのだと推測しました。
その後、体調が回復に向かっている中、突然激烈な下痢が始まってそれが止まらなくなりました。
病院で検査をしても下痢の原因は不明ということでした。
四六時中下痢が約1ヶ月続き、次第に体力も落ちていき入院することになってしまいました。
「病院での治療はもう受けない」と断言していた高橋さんが入院したので、私は「この時ももうダメかな」と思わずにいられませんでした。
高橋さんの入院中は遠隔気功を行っていました。
遠隔気功とは、さいたまの私の気功治療院から、遠方にいる患者さんに気をお送りし治療する特殊技法です。
下痢が続いていたある日のこと、突然黒いコールタール状の便が出て下痢が止まりました。
それからというもの、体調が加速度的に回復し数値も正常値に近づいていきました。〔その後白血球5200/μLに〕
日常生活にも支障がなくなってきました。
断食をやっていても体内の老廃物の塊が黒い便で出ることがあります。
「その黒い便は長期に渡って摂取した抗がん剤の毒素の塊だったのでしょう」と高橋さんは述懐しています。
高橋さんは抗がん剤を受けている期間中ずっと私が気を入れた「気功水」をガブガブ飲んでいました。
私が「気功水を飲んで抗がん剤の毒素を出してください」とお勧めしたこともあるかと思いますが、喉も渇いて仕方なかったようです。
しかし、飲めども飲めども尿は余り出なかったそうです。
「あの時飲んだ気功水が細胞に溜まっていて、それが長期の下痢になって毒素と共に出て行ったのでしょう」と高橋さんは言います。
まったく人体というものは人知を超えた不思議な働きをするものです。
今では数値も問題なく、日常生活も普通の元通りの生活に戻りました。
「何を食べても美味しいんです。」
と高橋さんは嬉しそうに語ります。
高橋さんはその後、完治してすっかり良くなり、大好きなカラオケとボーリング三昧の日々を過ごしています。
寿命をいただけたからでしょうか、日々生きていることに感謝の思いが絶えることがないと言います。
そうした見えないもの(神)への敬虔な姿勢には頭が下がる思いがします。
高橋さんは感謝の思いを込めて、このお手紙を送ってきて下さいました。
自分の壮絶な闘病体験が自分と同じような境遇にある人の目に留まるようにとの願いがこのお手紙には込められています。