気(エネルギー)を感じて生きる
私は生来、気(エネルギー)に敏感な質(たち)ではなかったのですが、気功の道に入ってから徐々に氣感が開かれ、今では五感(視覚・聴覚・味覚・触覚・嗅覚)と並ぶくらいの一つの大きな感覚になりました。
これを超能力と呼ぶかどうかですが、私は超能力というよりも人間の原始能力と言った表現の方が適切かと思います。
原始能力と言ったのは、氣感は元々人間に備わっていた感覚なのですが、文明が進み便利になるにつれ、次第に退化していった能力という意味で使いました。
日本語には、天気・元気・嫌気・運気・・・など気が含まれる言葉が無数にあるように、昔の人は気を今の人よりも感じて生きていたのでしょう。
私は、生活のすべてに置いて気を感じて、それを判断材料にしています。
今日も実は湯治宿でこの原稿を書いています。
湯治宿を選ぶときは、値段や場所とかもちろんそのような諸条件でも選びますが、最終的に決断するのは、ホームページから感じるその宿の気です。
ホームページや写真からはその物が持っている気が放射されていますので、それを感じて「ここはいい気だ」とか「ここは良くないな」とか判断する訳です。
宿の温泉の写真を見て「源泉掛け流しとかいいこと書いてあるけど、気はいまいちだな」と思うときは選択しません。
宿の部屋の写真を見て、「ここの気は良くないから疲れそうだ」と選択から外します。
せっかくくつろぎに行っているのに、部屋の気が良くなくて居心地が良くなければ残念でしょう。
ちょうど今日泊まった湯治宿は、着いてわかったことなのですが、霊泉の宿でした。
ホームページにはそのようなことが書かれていなかったのですが、気が良かったので選んだところ霊泉に当たりました。
霊泉とは、夢や瞑想などの最中、神仏によるお告げで発見された温泉です。
今回の温泉は、昔、僧が法華経の修行をしていて、その満行時に神仏が現れて、薬湯を教えてくれると同時にそれが湧き出したという言い伝えが残っていました。
神仏が万病に効くなどと教えてくれる温泉ですから、非常に薬効が高いのでしょう、体調不良がよくなることが期待できそうです。
そのような霊泉は意外と日本各所にあるものです。
私も霊泉巡りをしたいと思っていますが、興味のある方は検索して行ってみるとよいでしょう。
このように気で選ぶと、予想外の恩恵があったりするものです。
ここでは温泉宿選びの例を挙げましたが、他にもこのような感じで氣感を基に生活しています。
・飛行機やコンサートなどの座席選び
座席表の中から、居心地が良さそうな席を予約します。席によってエネルギーが違います。
なぜかはわかりません。誰か先に気が良くない人が座ってその気が残っているのか?当日にその席の近くに気の良くない人が来るのか?いずれにしてもそのような気の良くない席は選ばないようにします。
・スーパーの食品選び
食品を手に持つと、それが自分に合うのか合わないのか、気で判断できます。手に取って気が良くないとすぐに陳列棚に戻します。
・店など行く場所
場所はそれぞれ気が違います。気の良くない場所には原則行きません。飲食店、寺社仏閣などは、気で選んで行くようにしています。「寺社仏閣の気が悪いのか?」と思われましたか。寺社仏閣も大勢の人が訪れ穢れを落としていけば気が汚れるからです。気うんぬんの前に人混みは苦手です。
・人との交際
お客様は選べませんが、プライベートで交際する人は気で選びます。一緒にいて気で疲れる人とは長く一緒にいられません。結局、類は友を呼ぶということなのでしょう。ただ、病気をしている人の中には、本人のせいではなく家系のカルマを背負って気が悪くなっている場合もあり、そのような人は気が悪いけれども人間性は良い場合がありますので、一概にはいえません。
・YouTubeやブログなど
これも発信者の気が出ています。立派なことを言っていて多くのフォロアーがいたとしても、気が良くない人の情報を求めることはありません。
・音楽
音楽のジャンルの好き嫌いもありますが、好きなジャンルであってもアーティストによって気の良くない曲もあります。それは聴きません。
一事が万事このような調子なので、生きるのが大変です。
ある意味、神経質な人にとられるかもしれません。
大変ではありますが、私が気楽(気が楽)に生きるためには大事なことです。
よく生きるには気を整えることが大事
では、私自身は諸事を鑑定する程清浄な身のかというと、そうでもありません。
生きているだけで、様々な不浄な気の影響を受けていますし、また気功治療をすれば受け手の邪気を被ります。
結構、自身の気が穢れていると感じることはよくあります。
その浄化には日々大変な時間と労力を費やします。
「自己浄化に時間をとられなければ、もっといろいろとやりたいことができて一日が有効に使えるのに」
と思わない日はありません。
自分自身が邪気で穢れている時は、だいたい良いことが起きません。
面倒なことや嫌なことが起きたり、感情がネガティブになるような思いが湧いてきたりして苦しみます。
自分自身の気の状態で、起こる現実が大きく変わります。
これは宇宙の真理だと思います。
現代のビジネスではスピード感が求められ、即断即決しすぐ動くことを成功の鍵のように主張するインフルエンサーが世に多くいます。
私の考えでは、自分自身の気が良い状態であれば、即断即決も吉と出るでしょうが、気の状態が良くない邪気まみれの状態で思考したり判断したりすることは、良い結果になりません。
後々面倒なことになります。
だから、ある課題が持ち上がった時に、その方向性を決める決断をする時は、瞑想などの自己浄化をして、邪気を祓ってからするようにしています。
そうすると、意思決定の時間はかかりますが、邪気まみれの状態で考えていた時とまったく違う意識状態になり、思いもよらない良いアイデアが浮かびます。
気の状態が良いときに判断すると、物事がスムーズに円滑に運びます。
氣感を開発、養成する方法
多くの人は私のような氣感が開いていないと思います。
私が特別かというと、元々そのような能力はなく、修行によって開発されたものなので、私は誰でもある程度、私に近い氣感を開発できるのではないかと思っています。
現に、私の水野氣功塾の生徒さんや私の親しい人たちは、氣感が開けて伸長していっています。
私はどうやら周りの人の氣感を目覚めさせる能力があるようです。
水野氣功塾の密教瞑想講座の生徒は、気の伝授をするのでそれはある程度わかるのですが、生徒でない人も私と長く一緒にいると氣感が開かれて伸びていきます。
私の周りでは、氣感が備わってくるという人が今までにも少なからずいましたので、それが気の教師たる所以(ゆえん)でしょう。
将棋や芸道、武道の世界では内弟子制度というものがあります。
師の身の回りの世話をしながら勉強する方法です。
将棋の世界の内弟子は、師の生活諸々に渡る身の回りのお世話をして、寝食を共に過すのですが、中には弟子に全然将棋を教えない師もいるようです。
独力で勉強して、師の技を盗みなさいということなのでしょう。
では、なぜそのような一見生産性のない非効率なことをするのかというと、一緒に過ごすことで師の意識やエネルギーが弟子に伝達されるからでしょう。
これらの世界では、意識や感性が知識より重要なので、師と時空を共有して師のコピーとなるというのが内弟子の本質なのでしょう。
とはいえ、誰もが私の傍にいられる訳ではないので、独力で氣感を養成する方法をお伝えします。
一番有効な方法は、瞑想をすることです。
瞑想も本当は師について学んだ方が良いのです。
だから、自分の周りで瞑想を指導してくれる先生を探すのが良いかと思いますが、それでも教師もピンキリです。
教師が見つからない場合は、一人で瞑想を続けるしかありません。
瞑想を一週間、一ヶ月やったところで、おそらく何も変わらないでしょう。
瞑想は一生やっていくものです。
数年やっていく内に、気付けば大きく進化していたと気付くことになると思います。
私も瞑想を学ぶ前に、氣感が優れた気功師の話を聞いて「すごい世界もあるものだ」と感心し、自分がそれに近づけるとは毛頭思いませんでしたが、才能のない私のような者であっても続けていけば変わっていったのです。
また、私が仙人師匠と毎月行っているご神木プージャ(護摩祈祷)も、ご参加いただければ遠隔で気(エネルギー)を受け取ることができます。(参加費は3千円以上のラブドネーション〔お布施〕)
気(エネルギー)の対面伝授ではありませんが、毎回のマントラ(真言)をお知らせして一緒にお祈りしてもらう中で気(エネルギー)を伝えています。
それを長く続けていくことで、氣感が養成されてくるはずです。
ご神木プージャは、願い事を叶えたいという思いでご参加いただく人が多いですが、気を受け取りたいという動機であっても全然構いません。
→ ご神木プージャ
瞑想に限らずですが、たゆまず継続していくことが大事です。
何か新しい力を外部から手に入れるというよりも、自分の中に本来あって眠っている能力を呼び覚ますというように理解した方が、何やらできそうな気になりませんか。
氣感とはそのようなものです。
ただ、元々備わっていると言っても独力で開発するには時間を要します。
気は伝授を受けて伝えてもらって開発する方がショートカットです。
気(エネルギー)の伝授をするということは、井戸を掘る時の呼び水のように、眠っている大きな気を導く起爆剤になります。
氣感は五感のように、それぞれの人に元からインストールされている能力なので、それを開発して伸ばしていってほしいと思います。