4.霊界通信が告げる死とあの世の実態

死んでしまった人とコンタクトをとるのは、基本的に不可能ですが、世の中には稀にその交信がされることがあります。
それは霊界通信というもので、死者の霊が生者にかかり、死者の意思を生者がそのまま伝えるのです。

低級霊が憑いてくだらないことを語ることもありますが、本当に浄化された霊はその霊格も高く、伝えられる内容も高尚なものとなります。
きちんとした霊からの通信であるかどうかは、審神者(さにわ)という審判役が見極め判定することもあります。

下記に紹介する霊界通信は、それなりに高級な霊が伝えて来ているものですが、その通信から死とあの世のことがわかってきます。

(シルバーバーチ霊言集)


〔問〕「私達には生命を延長する力がありますか?」
〔答〕「皆さんは肉体を生かしておこうとする。これは正しいことである。だが、霊が去るべき時が来れば、もはやこれはふせぎようもない。」

「魂の方が他界への準備がすっかり整っていれば、もはや、人間にできる手立てはない。」

「死ぬということは物的身体のオリの中に閉じ込められていた霊が自由を獲得することです。苦しみから解放され真の自我に目覚めることが悲劇でしょうか。」

「死とは物的身体から脱出して霊的身体をまとう過程のことです。少しも苦痛を伴いません。それがもし簡単にいかない場合は霊界の医師が付き添います。」

「あとに残された家族にとっては(※死別は)悲劇となることはあっても、死んだ本人にとっては、少しも悲しいことではありません。新しい世界への誕生なのです。まったく新しい生活の場へ向上して行くことなのですから。」

「あなた方はまだ霊の世界の本当の素晴らしさを知りません。肉体の牢獄から解放され、痛みも苦しみもない、行きたいと思えばどこへでも一瞬の間に行ける、考えたことがすぐに形をもって眼前に現れる、追求したいことに幾らでも専念できる、お金の心配がない……こうした世界は地上には譬(たと)えるものがないのです。その楽しさは、あなた方はまだ一度も味わったことがありません。肉体に閉じ込められた者には、美しさの本当の姿を見ることができません。霊の世界の光、色彩、景色、樹木、小鳥、小川、渓流、山、花、こうしたものがどれほど美しいか、あなた方はご存じない。それでいてなお、死を恐れます。人間にとって死は恐怖の最たるもののようです。が実は、人間は死んで初めて生きることになるのです。」

(ホワイトイーグルの霊言)


「人の恐れる死とは、実際は、新しいものの始まりなのです。その時、大いなる光が魂の上に広がりでます。肉体に閉じ込められていた魂が、豊かな生へと脱出することです。ゆめゆめ死は恐ろしいものだと思わぬように。」

「人は単に物質的な肉体と心ではない。人間とは死なぬものです。人は死んでも、自分の死に気付きません。それは、肉体から脱け出ても、やはり同じ形を保っているからです。」

(小桜姫物語)


実際自分が死んで見ると、それは思いの外に楽な仕事でございます。痛いも、痒いも、口惜しいも、悲しいも、それは魂がまだしっかりと身体の内部に根を張っている時のこと、臨終が近づいて、魂が肉の宮を出たり、入ったり、うろうろするようになりましては、それ等の一切はいつとはなしに、何処かへ消える、というよりか、むしろ遠のいてしまいます。」


この様に死というものは「思いの外に楽」なものであるのが一般的なようです。
自然死だとそのように苦しくはないのでしょう。

何の霊界通信だったか定かではありませんが、ライオンに食べられて亡くなった女性が霊界通信を伝えてきたという本を読んだことがあります。
普通ならライオンに食べられて惨殺されたのであれば、その死は想像以上に苦しいものだったと考えてしまいますが、その霊になった女性は「死の瞬間は気持ちのよいものだった」と語っていました。
このように事故死でも、苦しいどころか気持ちのよいものなのだそうです。

しかし、現代のように終末期医療で過剰に延命治療などすればそうではないかもしれません。

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