死の哲学 1.メメント・モリ

  1. 序章 メメント・モリ~死を想え~

「メメント・モリ」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
「メメント・モリ」とは、ラテン語で(死を想え)をいう意味です。

私たちは、普段の生活の中で死を考えることはなく、何とはなしに平均寿命の80才前後まで生きるものだと当たり前に考えていますが、それは大きな間違いです。

確かに、その年まで生きる人は多くいますが、平均寿命より若く亡くなる人も数多くいます。
弊院には、常にがん患者さんが誰かしら通院しており、これまでたくさんのがん患者さんを診てきました。

その中でも、末期の後期に相当する人も数多く診て来ています。
その様な方々はもう病院が何も治療することはないとバンザイしてしまった患者さんです。
だからといって、私がその病気を治すことができるかと言えば、間近な死が宿命的にも確定している人には痛みの緩和以外にほとんどできることはありません。

しかし、それでも気功治療を受けると「身体が楽になる」「身体に力が入る」などと言って喜ばれてきました。

それぞれのがん患者さんとのお付き合いは長いものにはなりませんが、思い返せばたくさんの方々を見送ってきました。
その中には、私より年下のがん患者さんも多くいました。

そのような方々を普段気功治療していますから、私にとって死は他人事ではなく、私自身もいつ亡くなるかわからないという覚悟をもってこれまで生きて来たつもりです。

いつ自分自身に死が訪れるかは、まったく予期できません。
健康でピンピンしている人が、ある日突然事故や病死することも珍しくありません。

世の中に絶対こうなると断言できるものはありませんが、唯一誰もがいずれ死を迎えることは100%起こるのです。
しかし、死を考えることはこの世で最も恐ろしいものだという思い込みから、考えることを忌避していて、死を考えると言えば「縁起でもない・・・」と遮ってしまいます。

100%起こることに対して、それをまったく考えないというのは正しい姿勢なのでしょうか?
よくよく考えてみれば、ものすごく苦しんで亡くなる人もいれば、そうではなく死ぬ間際まで痛みや苦しみもなく自然に枯れるようにして亡くなる人もいます。

その違いはどこにあるのでしょうか?
また、望ましい死に方、死の迎え方はどのようなものなのでしょうか?

このことは、誰もが必ず学ばなければならないことだと思います。

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