10. 死に際して結論づける・・・「人生とは何か?何のために生まれて来たのか?」

「自分は一体何のために生まれて来たのだろうか?」

人生ではこのように思うことがあるでしょう。
答えのあるものではないので、いくら考えても納得いく答えはなかなか見出せません。

それでも、その問いに対してある程度納得がいく答えを持って生きている人と、そうでない人とでは人生の濃度が明確に違ってくることでしょう。

自分が生まれて来た意味・意義が分かって生きていて、その通りに人生を生きていれば納得いく生き方ができます。

そうでない人は、本能のままに生きて、フラフラして、地に足がついていない人生になります。
今わの際に人生を振り返って「人生に納得できたか?」と問われれば、「う~む・・・」という答えになるでしょう。

中村天風師は、表現はかなり辛辣(しんらつ)ですが、その様な人を「うんこ製造機」と呼んでいました。
つまり、人や社会にあまり役立つこともなく、食っちゃ寝している惰性的な生き方を揶揄(やゆ)したのでしょう。

人生は何と言っても一度きりしかありません。
いくら輪廻転生があるとは言え、それで過去世を思い出せるかといえばそうではありません。
どこかの次元に人生の記録がプールされていたとしても、一度きりと考えた方が妥当です。

現在の名前がついている人生はあと数年しか続かないのです。
その人生をどう生きるかによって、死に方も大いに変わってくることでしょう。

それでは、この地球という物質世界に生を受けた理由は何でしょうか?
人それぞれ色々な答えがあるでしょう。

スピリチュアル的に言えば、究極な答えは

「さまざまな体験をすること」

だと思います。

良いことも悪いことも、嬉しいことも悲しいことも、愛に満たされる幸せも愛されない寂しさも、すべて体験することに意義があるのです。

確かに、人生は人や社会のためになる生き方の方が高尚といえましょう。
私も常日頃から菩薩行といって人助けをする生き方を推奨していますから、そうした方が神の御心に適(かな)うと思っています。

しかし、より根本的かつ究極的な答えは、

「ただ生きて、体験するだけ」

でいいのです。

その内容に善(よ)し悪(あ)しもないというところでしょう。

魂

人間の魂の奥底には、神の分魂が納められています。
人間の魂は多重構造になっていますが、その最奥には神の魂があるということです。
つまり、人間は誰でもある意味神であると言えるのです。

その神が、この地球という世界を体験するために、たくさんの魂に分かれて降り立ってきたのが人間です。
人間は至純の神と違って出来が良くない一面もありますから、社会で生きていれば様々な問題が生じます。
そして、ネガティブなことを思うことも多々あります。

それでも良いことも悪いこともひっくるめて、神は体験をどこかに記録してプールしているのです。
その体験の一つ一つが神自身の成長になるからです。

すごく単純な例えをすれば、私たち人間はクルマについているドライブレコーダーのようなもので、それが走行中に勝手に記録される様に、私たち人間の活動や精神状態もどこかの世界に自動的に記録されるのです。

只、生きて生きて生き抜く・・・
辛い時も、苦しい時も、死にたくなる時も・・・それでも踏ん張って生きぬく。

生を継続することが神の意思に適う生き方です。
そのために、私たちはこの地球世界(物質世界)に誕生し、生を謳歌しているのです。

人生の意味

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