8. 生きている内にしなければならないこと ①執着を手放す

理想的な死を迎えるためには、瞑想が効果的な訓練となります。
死後に極楽浄土の境地に到達したければ、生きている内にそれが実現できないと、死んでから実現することはできません。
人生が修羅場続きで地獄の様なものであった人が、死んで急に極楽世界になるというのはありえない話です。
生きている内に、心に苦しみなく、穏やかで極楽の様な精神状態であれば、死後もそれが継続するというシンプルな話です。

そのためには、死に際し後悔をしないような生き方を日頃から実践しなければなりません。
また、お金、肩書・地位、家族、所有物への執着を徐々に減らしていかねばなりません。

ここに「家族」と書きましたが、家族も執着の対象となります。
「家族も執着なの?」と思われるかもしれません。
このことはヒマラヤで修行していた時に聖者から言われました。
それを初めて聞いた時、私は家族のことは最も大切にしなければならないものであると考えていましたので、

「この聖者は何を言ってるんだ?家族の大切さがわからないのか?情を持ち合わせていないのか?」

とその知性に疑問を感じました。

それから5年以上経ちましたが、今の考えは「やはり、あの聖者の言は正しかった」と考え方を転換しています。

家族も執着の対象なのです。
親離れできない子供、子離れできない親、妻(または夫)に依存しべったり甘えている夫(または妻)等々・・・

健全な家族関係ではなく、いびつな家族関係で成り立っている家庭は少なくないでしょう。
子供への愛情という美辞麗句の下、執拗な管理束縛をしている母親はよく目にするところです。
自分自身は勉強ができないのに、子供にだけ受験勉強のプレッシャーをかけて精神的に追い込んでいる母親もたくさんいます。
母親自身の自己実現を、子供の自己実現に置き換えて、「(勉強を)やれ!やれ!」と追い詰めるのです。

まだまだありますが、ここではそれをあげつらうのはやめましょう。

とにかく、家族関係が執着になっている人は多いということです。

また、肉体への執着というものもあります。
自分自身の美や健康を誇る余り、それ(肉体)への関心が執着になるのです。
肉体は年をとれば徐々に弱っていきますし、見た目もしわやシミができて衰えていきます。
身体も若い時の様に動きませんし、疲労もなかなか回復しません。
視力や聴力などの感覚も徐々に弱っていきます。
それが老化というものです。

老化は人間に与えられた肉体への執着を捨てさせるプロセスといえましょう。
死ぬ時に、肉体に執着を持っていてはあの世にいけません。
通常の死のプロセスでは、死んですぐに自分自身の肉体への執着は薄れ、ただのモノとしか見られなくなります。
そうして、肉体を離れ、魂は行くべきところに向かうのです。

しかし、肉体に執着があるとそうなりません。
あの世とこの世の狭間の世界で未成仏霊となり彷徨(さまよ)うことになります。
その意味では、老化というのはまさに死の準備であり、ある意味ありがたいものと見ることができます。

「老化は当たり前」という考えもあるでしょうが、老化は生物に共通するものではありません。
例えば、ヘビやワニなどの爬虫類やサンショウウオなどの両生類は老化が見た目でわかるでしょうか?
虫や魚も老化が見た目でわかるでしょうか?
貝やイカやサンゴやワカメなどの海洋生物も老化が見た目でわかるでしょうか?
こう考えると、老化によって見た目が衰えていくというのは当然のものではなく、死を意識することができる動物に与えられた神の恩恵と考えることもできます。

ちなみに話は少し脱線しますが、ベニクラゲは身体が老化すると、また若返り幼体に戻る不老不死の生き物です。
そんな不思議な生き物もこの地球には存在します。

ベニクラゲ

話をまとめますと、人間は生きていながらたくさんの執着を持って生きています。
それは死に向かう過程で徐々に減らしていかなければなりません。

執着というのは、対象への執拗なこだわりであり、対象への「思い」といえます。
「思い」はエネルギー的に言えば、集中であり、重いのです。
執着をたくさん抱えた魂は重いから、浮かばないのです。

つまり、浮かばれない存在として、成仏できず未成仏霊として彷徨(さまよ)うのです。

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