6. 楽に死ねない終末期医療

自然界の動植物は自然に枯れるようにして死んでいくのが普通です。
しかし、現代では良い意味でも悪い意味でも医療が発達していて、病院で亡くなる人が多いので、なかなか自然死は難しいのが現状です。

それは、寿命によって死を迎えるという自然な亡くなり方というよりも、さんざん必要のない延命治療を施されて無用な苦しみを味わうことになります。

私はこれまで抗がん剤治療でボロボロになって亡くなっていった方、死の直前まで手術を繰り返しされて苦しんで亡くなった方を多く見て来ています。

そのような亡くなり方をしている人をみれば、がんは恐ろしい、死は恐ろしいということになりますが、それは実は不自然な亡くなり方と言えます。

その人達が自然死だったら、どれくらい楽に死ねただろうかと想像しますが、今の時代がんになって自然死を選択できる程「生の哲学」が確固としている人はほとんどいないでしょう。

野口晴哉
野口晴哉

先に紹介した野口晴哉(1911 – 1976、日本の整体指導者で野口整体の創始者)は、

「人は病気で死なない。ただ、生を全うする者は稀で、ほとんどは他殺か自殺だ。」

と言っています。

たとえば、がんであれば約三分の一は、死ぬ間際までほとんど痛みもなく経過します。
手遅れの状態で発見された末期がんは、そのときまで痛みが出ていなければ、死ぬ時まで痛みは出ないことが多いものです。
「天寿がん」はそのようなもので、思うよりも楽に死ねます。
老衰は痛みもなく楽に死ねるものですが、実態はガン死であることが多いのです。

ですので、私は今の医学の主流の考え方である早期発見・早期治療には反対の立場です。
早く発見すれば、それから苦しい3大療法(手術・抗がん剤・放射線治療)のコースに進むことになります。
極小のがんでも、なんでもかんでも早期に見つけ出して、治療を進めるというのは、それがたとえ医師の善意であったとしても、簡単に首肯できません。


そこには、長生きが絶対的に正しいという思想があるからです。
現代人は、1日でも長く生きることが美徳と考えていますが、それは果たして正しいのでしょうか?
人生の長さに関係なく、人生を思う存分生ききって、時期が来れば花が散るようにこの世を去る方が美しくないでしょうか?

どう生きて、どう死ぬかは、人それぞれの哲学や美意識が反映されるものです。
美しく生きて、美しく死ぬ・・・そのためには生前に死をどう迎えるかということについて深く思考し、死と向き合わなければなりません。

死は人生の精華です。
死に方にその人の人生が集約されると言っても過言ではありません。

穏やかで美しい死を迎えたいなれば、そのような人生を送っていなければ実現できないでしょう。
暴力・怒り・恐怖・心配・煩悶などに絶えず心をかきたてられた人生を送った者は、それを象徴する死の形となるのではないでしょうか。

死期が迫って来た時に、悪あがきをしてみっともない死に方はしたくないものです。

関連記事

PAGE TOP