死に対する安心をもう一つ付け加えるとすれば、亡くなる間際にはお迎え現象があるということです。
これは、肉体から魂が抜けだそうとする時期に、その人の亡くなった縁者が霊体でお迎えに来るというものです。
亡くなる直前に、その人が天井を驚きの表情で見つめていることが度々報告されていますが、それは亡くなったはずの縁者が霊体になって現れているからです。
その様子は、「シルバーバーチの霊訓」にこの様に記されています。
「あなたがご自身が(死を)覚悟するずっと以前からあなたを愛する人はあなたの死期を察知しております。そしていよいよその時期が到来すると、そばに来て待機します。」
それはあたかもお母さんがあかちゃんを産まんとする時、夫やその両親などの家族や近い親戚が病院に参集している様子を霊界側から見ている様なものと言えます。
霊界という魂の故郷に還って来ようとする人を、霊界の方では待ちわびているのでしょう。
死んだ後は消滅するとか、無になるとか、孤独になるという心配は全くいりません。
死んだ後には、生前親しくしていた家族や友人などとまた会えるのです。
そう思えば、死は恐れるどころか、大いなる楽しみの一つになるではないでしょうか。
しかし、そのお迎え現象も死の間際に過剰な延命治療をしたり、医師や看護師または見舞客などが頻繁に出入りしていたりすると、騒がしくてお迎えもおちおちしていられないことになって、お迎え現象が起きにくくなります。
そのため、病院で騒々しい状態で亡くなるよりも、静かに落ち着いて亡くなる孤独死の方がお迎え現象が起こる可能性が高く、幸福な死を迎えられることになります。
孤独死というと、寂しく心細い状態でこの世を去るかわいそうな亡くなり方という印象がありますが、実態はそうではなく、むしろかつて愛情や友情を交わした深い関係がある故人の霊体に看取られて亡くなるので、望ましい死に方とも言えるでしょう。